Kayatsuri Blog

17/01/2008

生き物とは

Filed under: がん・創薬 — 蚊帳吊りウサギ @ 10:15 pm

あ次郎さんのブログで、福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」という本が紹介されています。私も、ごく最近、この本を面白く読んだところで、実はこれをネタに、色々と寝言を書いてみようと思っていたところでした。とりあげたい話題は色々あるのですが、とりあえず、まず、生き物とは何か、ということについて考えてみたいと思います。

生き物とは何か、という問いは、日常的には、あまりにも自明なことですから、あらためて尋ねられると、返答に困ります。困ったあげくに、私がこの問題に、「生き物とは、自己複製するエントロピー・ポンプである」という、比較的簡潔な答えをでっち上げたのは、いったいいつごろのことだったのか。それどころか、この答え自体が、そもそも、自分で思いついたものやら、どこかで読んだ、人の受け売りなのか。それすらよく思い出せません。いずれにせよ、色々な人が色々なところで、似たり寄ったりなことを言っていますので、自分のプライオリティーを主張する気などは、毛頭ありません。

定義にエントロピーが出てきたので、まずエントロピーの話から、はじめなければなりません。エントロピーというのは、ご存知のように、乱雑さをあらわす物理量です。今、コップの中の水に、赤インクを一滴、落としたとします。インクがコップの水に落ちた瞬間は、無色透明な水の中に、まさに紅一点、赤いインクの小液塊がポツリと存在するわけで、これは、コップの中でインクの色素と水の分子が、お互いに交じり合わずに住み分けた、秩序の高い状態です。しかし、特にわざわざかき混ぜたりしなくても、ほうっておけば、すぐにインクはコップ全体に広がって、透明だった水は、均一な赤い水溶液になってしまいます。この状態では、色素と水の分子は、まったくデタラメに混ざり合っているわけですから、以前の紅一点の状態よりは、秩序が乱れている。つまり、エントロピー=乱雑さの程度が増大した状態である、ということができます。

ところで、この赤い水溶液は、どんなに長い間観察していても、もとの紅一点状態に自発的に戻ってゆくことは、けっしてありません。これは、なぜでしょうか。原理的には、この赤い溶液中のすべての色素と水分子の動きが、ある時いっせいに逆向きになれば、ビデオを逆回ししたように、来た道をたどってもとの状態に戻るはずです。また、その動きの逆向きになった分子一つ一つを、(架空の)超高性能顕微鏡を使い、ストップモーションでどんなに詳細に観察しても、物理的に不都合な点は何もないはずです。ただ、進行方向が180度反対になっているだけなのですから、当たり前です。そのような動きを禁止する物理法則は何もない。それなのに、こういうミクロな部分部分に成立している、微視的な可逆性が、マクロな全体に対しては成立せず、いったん混ざったインクと水が決して自発的に分離することがないというのは、考えてみれば非常に不思議なことです。ここでは、これ以上、詳細には立ち入りませんが、われわれの住む宇宙には、このように、乱雑さ、つまりエントロピーは常に増大するという熱力学の基本原理が存在するのです。

余談ではありますが、上の熱力学の法則を過大解釈して、エントロピーはどんな時にも決して自発的に減少することはない、と思っている人がいますが、そんなことはありません。たとえば、冬の寒い朝、道の水溜りに氷が張ります。水溜りの水が、乱雑な液体の状態から、秩序の高い結晶構造の氷に変化したのです。ここでは、明らかにエントロピーが減少しているではないですか。これは、どう考えたらよいのでしょうか。

子供向けの科学読み物のようなものを書き初めてしましたが、前置きが長くて、生き物の話への道のりは遠いようです。まあ、誰もこんなくどい話、読んでくださらないとは思いますけど、続きはまた近いうちに。

01/01/2008

謹賀新年

Filed under: 日々のこと — 蚊帳吊りウサギ @ 05:59 pm

s-p2270109.jpg

みなさん、明けましておめでとうございます。昨年中は、こんな偏屈なブログにお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

上の写真は、プラハで見つけたコショウと塩のディスペンサーです。 新年を迎えるにあたって、白い人も、黒い人も、カソリックも、プロテスタントも、オーソドックスも、イスラムも、ユダヤも、ヒンズーも、日蓮宗も、曹洞宗も、そして、まあ、私事ですが、われわれ夫婦も、ちょこっと末席に加えていただいて、門松立てて仲良くいたしましょう、というわけです。

レポートに、2007年度のまとめ、mp3ダウンロード・ベスト20をアップしました。

24/12/2007

練習中の曲

Filed under: 音楽・ギター — 蚊帳吊りウサギ @ 05:01 pm

ウサギさん、あんたにゃこの曲、10年早いわ。味噌汁で顔を洗って、出直して来たらどうかね

下の記事のKAZUさんへのレスのなかでもちょっと触れましたが、次は現代の曲をやってみようと思っています。あれこれ考えて選んだのが、デュアルテの「カタロニア民謡による変奏曲」です。あーあ、書いちゃった・・・・。これで、あとに引けなくなりました。こういう、現在の自分の実力では、音楽的にも技術的にも、そうとうに無理のある曲を選ぶのは、やはり、曲に助けてもらって、少しでも先に行きたいと思うからです。単純にメカニカルな問題だけを考えても、いったい人間の指の運動性能というのは、練習によって、何歳くらいまでなら、進歩を続けられるものか知りませんが、多少なりとも可能性の残されているうちは、いろいろ知恵を絞ってジタバタしてやろうと思っています。

10月の末に練習をはじめた当初は、何しろたいへん難しい上に長い曲ですから、前半と後半に分けて録音すれば、演奏アップの間隔もあきすぎないでよいかなあ、と思っていたのですが、ウェブ上のギター仲間の活躍ぶりを見ているうちに、思い直しました。考えてみれば、今までの私のやり方は、HPへの演奏アップにこだわるばかりに、1、2ヶ月で一曲を仕上げては、次へ行くということの繰り返しでしたが、ステージで弾く事を前提にしている人にとっては、私のゴール、つまり録音出来る程度に仕上げることは、スタート地点に過ぎません。皆さんは、ある程度仕上がった時点で、人前で弾いてみて、その結果を以後の練習にフィードバックするということを、場合によっては、一年、二年と繰り返してゆくわけですから、最終的な習熟度がぜんぜん違います。おそらく、脳内で運動記憶が保存されている部位も、違うんじゃないかな。そう思います。

そういうわけで、これは、要するに、しばらく録音のアップはありません、ということへの言い訳です。熟成期間をおきつつ、ある程度の頻度でアップを続けるためには、複数の曲を平行して練習するしかありませんが、そのためには、当然練習時間を増やす必要が出てきます。あちらを立てれば、こちらが立たず。楽して上手くなろうと思っても、そうは問屋が卸しません。

22/12/2007

プラハの話、その6

Filed under: 日々のこと, 音楽・ギター — 蚊帳吊りウサギ @ 09:41 pm

s-p1250082.jpg

プラハでは、ちょっとした掘り出し物を見つけました。写真は、着替えのシャツやセーターにぐるぐる巻きにして、運搬中の「掘り出し物」です。手荷物として、キャビン内に持ち込めたのはラッキーでした。詳細と写真は、レポートのページに。

16/12/2007

プラハの話、その5

Filed under: 日々のこと — 蚊帳吊りウサギ @ 10:07 pm

s-p1240063.jpg

近年、日本でのブログ熱には目を見張るものがあります。いったい、ウェブ上にどれほどの数のブログがあるものか、見当もつきませんが、何気なくはじめたブログがきっかけで、図らずも、自分の中に人知れず眠っていた、ものを書くことに対する情熱を発見された方も多いことでしょう。私はというと、振り返ってみれば、子供のころから文章を書くことは好きでした。「蟹の旅」という、はじめての短編小説らしきものを書きしるしたのは、小学校の二年生の時のことでした。400字詰めの原稿用紙に20枚近くにもなる大作で、自分で挿絵まで書き、厚紙の表紙をホチキスで留めて装丁して小冊子にしたものも、度重なる引越しの騒動にまぎれて、今はどこにあるものか知れません。

わたしなどが、文章作法のことを書くのは、まったくおこがましいの極みですが、一つ、二つ、日ごろから気をつけていることがあります。それは、声に出してすんなりと読めるように書くこと。それから、書きたいことは、頭に浮かんだそのままを、けっして、真正面には書かないことです。第一の点は説明の必要もありません。二つ目は、つまり、たとえば、ある景色を見て、絵葉書のように綺麗だな、とおもったなら、絵葉書のように綺麗だった、とは書かないということです。そう書いてしまったら、ブンガクになりません。様々な策をめぐらし、言葉を操り、読み手の脳内に自然と絵葉書のような風景が想起されるように書くのが理想です。そして、理想と現実の距離に打ちのめされつつも、こりもせずに、くどくどと書く。これは、楽しいことです。

さて、お題がプラハの話ですから、やはり、プラハの話をしなければ。で、上の写真は、モルダウ河畔から見上げたプラハ城です。「絵葉書のように綺麗」ですね。

07/12/2007

プラハの話、その4

Filed under: 日々のこと — 蚊帳吊りウサギ @ 09:46 pm

s-p1230059.jpg

プラハというところは、夜の更けるのが早いところです。休暇というと、私は、スペインやイタリアのような暖かいところへ行くことが多いのですけれど、ああいうラテンの国の人たちは、とにかくもう、宵っ張りです。生活のリズムが日本人とは、ぜんぜん違います。レストランがにぎわい始めるのは、夜も10時をすぎてからですし、街は12時を過ぎてようやく本調子。まだ、道では、小さな子供が子犬を連れて遊んでいたりします。これくらいの時間になって、やっと、さあ、腹ごしらえも出来たし、飲みに行くぞ!って感じですね。

それにくらべて、プラハの人たちの夜の引き足の速いこと、速いこと。こちらは、いつものペースで9時過ぎくらいにカフェに入ったら、ご飯を食べている人なんて一人もいません。注文が運ばれてくるまでにも、一人帰り、二人帰りして、どんどん周りがさびしくなります。心細いことこの上ない。おい、おまえたち、ちょっと待て。俺たちを置いてどこへ行く?

写真は、食後のエスプレッソをすするころ、すっかり人通りのなくなった旧市街広場。カフェの中は私たちと、この人だけ・・・・・・。

03/12/2007

プラハの話、その3

Filed under: 日々のこと, 音楽・ギター — 蚊帳吊りウサギ @ 09:46 pm

p1230053.jpg

プラハというところ、犬も歩けば・・・・ではないけれど、出るわ出るわ。チェコ・ギターデュオのコンサートからホテルへ帰る途中、またしても到底無視できないコンサートのポスターを発見してしまいました。「トミー・エマニュエル」ギターコンサート。この人はクラシックギタリストではなくて、いわゆるアコギ弾きですが、とにかく、巧いし、それよりも何よりも、最上級のパーフォーマー・エンタテイナーです。大ファンなんです、私。

ところが、そのポスターがチェコ語で読めず、日時こそ明日夜7時からと推察できるものの、肝心の会場がわかりません。さてどうしたものか。あれこれ思案する私を尻目に、そのとき、わが細君、少しも慌てず、その心胆、大胆にして不敵。「はがしてゆこうよ」と言うなり、ばりばりばり、くるくるくる。

そうして、もって帰ったポスターが上の写真です。おかげで、ホテルのコンシエルジュにチケットの手配を頼むことが出来ました。ところが、トミーの人気はプラハでも相当なものらしく、椅子席はすでに完売で、手に入るのは立見席のみとのこと。旅行中で、体力の方に不安のあることもあり、残念ながら今回は見送ることにしました。やっぱり、行けばよかったかなあ・・・・まあ、今夜もYouTubeで我慢するか。

02/12/2007

プラハの話、その2

Filed under: 日々のこと, 音楽・ギター — 蚊帳吊りウサギ @ 03:16 pm

s-p1220007.jpg

さて、プラハへついて数時間もたたぬうちに街角に発見したポスターが上の写真です。チェコ・ギターデュオ・コンサート、明日、聖イルジー教会にて、夜八時より。チェコ・ギターデュオって、聞いたことのあるような、ないような。とにかく、出かけてみることにしました。

大聖堂横の小さな礼拝室にしつらえられたステージに現れたのは、年のころなら50代半ばのお二人。おそらく、ご夫婦でしょう。プログラムには、 Jana & Petr Bierhanzlとあります。イギリスに帰ったあとでHPを調べてみたら、プラハ音楽院の同級生デュオのようです。ペートルさんの手にしているのは、明らかにフラメンコギターです。一方、ヤーナさんの方は普通の杉のクラシックギターに見えます。で、プログラムが、ヴィヴァルディ、パガニーニ、アルベニス、グラナドス、フラメンコ・・・・・えっ、フラメンコ?うーん、こういうパターンは、私の経験からすると、大変まずい組み合わせです。食べあわせが悪いんですね。ウナギと梅干のような。

一抹の不安を抱えつつも、コンサートは始まりました。いきなり、結論から書いてしまうと、私の不安は、半分的中し、半分杞憂に終わったと言うべきでしょう。技術的には、最近の若手ギタリストのようなサイボーグ的な正確さこそないものの、大変に達者で安心して聴いていられる演奏でした。アンサンブルは一糸も乱れず、ほぼ完璧で、さすがに夫婦デュオと思わせるものがありました。演奏のスタイルは独特です。スペインものでも、私の歌い方の感覚とまったく違ったフレーズが次から次へと現れて、共感こそしないものの、新鮮でした。フレーズの間の息継ぎの間が極端に短くて、どことなくジプシー音楽風です。言葉にするのは難しいけれど、繰り返すたびにテンポを増して加速してゆくコサックダンスを思い浮かべていただけるとよいかもしれません。ここは東欧なんだなあ、と妙に納得しました。

01/12/2007

プラハの話、その1

Filed under: 日々のこと — 蚊帳吊りウサギ @ 04:39 pm

s-p1230058.jpg

旅行先にプラハを選んだわけは、ただ漠然と、旧東欧圏へ行ってみたいという、至極単純な思いからです。古いヨーロッパの町並みの残る、ビールのうまい所。そんな月並みなイメージを頭のなかに描きながら、観光ガイドを眺めていると、音楽と芸術の都、とあります。あれ、それはウィーンのことじゃないのかな。いやまあ、プラハだってアマデウスの撮影の舞台になっているし、すてたものではありません。ゆかりの音楽家と言えば、モーツァルト、ドボルザーク、スメタナ・・・・、ギタリストのパベル・シュタイドルもチェコ人だし、シュテファン・ラックはプラハの音楽院の教授だったはず。そういえば、マリオネットとか、伝統的な人形劇の盛んなところでもあったなあ。何年か前にテレビで見たチェコのコマ撮りアニメーション映画は芸術性の高い、すばらしいものでした。

さらにガイドを読み進みます。プラハはカフカが生まれ、その一生のほとんどを過ごした街。ありゃあ、そうだったか。これは、一生の不覚。フランツ・カフカと言えば、私の大好きな作家。高校時代に、短編の変身にはじまり、城や審判などの代表作を夢中になって読みました。読んでいるうちに、自分は一体、今、何を読んでいるのかさえ、確信の持てなくなってくる麻薬的かつ理解不能の不条理と非現実。そうか、カフカの城は、プラハ城だったのか・・・・・。

そういうわけで、プラハへの期待感は、私の中で否応なく、むくむくと膨らんでゆくのでした。

写真は、血中チェコビール濃度5%時の蚊帳吊りウサギの見た夜のプラハ城とカレル橋。

30/11/2007

しばらく留守にしておりました

Filed under: 日々のこと — 蚊帳吊りウサギ @ 01:38 pm

s-p1220037b.jpg

ここのところ、私にしては多忙な日々が続いておりましたので、骨休めに一週間ほどお休みをいただいて、女房と小旅行に行ってきました。旅行先で撮った一枚が上の写真です。11月も末となれば、木の葉もすっかり落ちて、重たい曇り空には小雪がちらつき、街には冬の気配が漂っていました。写真からすぐに行った先がわかった方は、かなりのヨーロッパ通でありましょう。写真中央を流れる川は、ヴォルタヴァ(モルダウ)川。街の名は、プラハです。

« Previous PageNext Page »

Powered by WordPress