
ご無沙汰をいたしております。「ギター大好き・・・コンクール」に参加された皆さん(観戦だけの方も)、お疲れ様でした。ところで、レコーディングに新録音をアップしました。こう書くと、もの覚えのよい方は、デュアルテの「カタロニア民謡による変奏曲」かな、とお考えかもしれません。えー、「カタロニア・・」はですね、「さっさと仕上げて、熟成させてから・・・」なんていうかっこいいことを書いたのに、難しすぎて、練習を始めて6ヶ月たってもぜんぜん仕上がりません。しかし、あきらめるつもりは毛頭ないのであって、石にかじりついても録音まで漕ぎつける覚悟ですが、それにしても先は長そうです。
今回の録音は、がらにもなく・・・トミー・エマニュエルの「アンジェリーナ」です。今年の目標は、ある程度のまとまった量の曲を、一度に弾けるようにするということでしたから、「カタロニア・・」のほかにも、いくつか副教材的な曲を平行して練習しています。トミーの曲は、その副教材のひとつというわけです。たまには、こういう曲を弾いてみるのも、「芸」の幅を広げるためには良いんじゃないかな、と思います。詳細は、いつものように宅録日記に。

どこでとは、あえて言いませんが、つい最近「誤謬(ごびゅう)」という論理学用語を覚えました。誤謬というのは、要するに、ある論証において、論理展開過程に根本的誤りがあり、その論証が全体として妥当でないことを言うのだそうです。たとえば、こういう論証です。
セゴビアは、唯一無二、至高のギタリストである。ところで、蚊帳吊りウサギは脊椎動物である。一方、セゴビアも脊椎動物である。したがって、蚊帳吊りウサギも、唯一無二、至高のギタリストである。
聞くところによると、蚊帳吊りウサギは、徳島県美馬郡に伝わる民話に現れる妖怪、蚊帳吊りタヌキの遠い親戚だそうですので、ウサギという名前がついていても、所詮は妖怪。脊椎動物であるかどうかは不明です。うーん、まあ、それ以前に、上の論証は、論証をすっ飛ばして結論だけ見ても明らかに誤っていますが。
たとえば、Youtubeなんかで、上手な人のギターを聴いていると、「あなた、いったいなに食べて、そんなにギター上手くなったんですか?」って、聞いてみたくなりますよね。なりませんか? わたしなら、食べ物でギターが上達するなら、馬糞(マグソって読んでください。バフンじゃなくって・・・)だって食べますけれど。そういえば、高校時代に、辞書のページをちぎって食べて英単語が覚えられるなら、これから毎日、弁当のおかずは研究社の英和中辞典にする、なんて言ってた友人がいました。まあ、ギター上達のための献立を考えている暇があったら、練習したほうが良いですよね。でも、練習だってただ闇雲にすればよいというものではありません。何の考えもない練習をいたずらに繰り返して、「いつかきっと、すばらしいことが起こるはずだ」と夢を見ていても、はかない結果に終わることは、たいていのアマチュアのよく知るところです。ゼロの成果を無限に積み上げても、その総和は所詮ゼロなのであって、どんなに小さくとも、一回の練習で何がしかの成果をあげることが、とても重要だと思います。練習を終わってギターをケースにしまうときには、練習前に比べて、ほんの少しでも進歩したかどうかを、自分に対して真摯に問いかけなければなりません。どひゃー、これじゃあ、馬糞を食らう求道士の趣です。いや、ほんとは、こんなうざったいことを書きたかったのではなくて、上達にもタテとヨコがある、という話をしたかったのですけれど、話が始まる前に、すでに脱線しています。凹。
YoutubeをPiazzollaで検索したら、最初のページに出てくるくらいですから、知っている人も多いのでしょうけれど、才気あふれる、そしてまた、なんとも不思議なデュオです。このリベルタンゴには、かなりハマりました。ホームページは、こちら。どのビデオクリップも面白いですけれど、ベートーベンの月光をバックに、Youtubeに寄せられた実際のコメントをネタにしたコントも最高です。最近のNYの若いミュージシャンって、こんなことをして遊んでいるんだなあ、と思うと、ちょっと新鮮な気分になります。
このふたり、ジュリアードの同級生デュオなんですね。のだめの留学したパリのコンバトのピアノ科の学生たちも、こんな感じなんでしょうか。のだめヨーロッパ編では、役者さんたちはずいぶん達者に弾き真似をしているように思いましたけれど、やっぱり、こういうビデオを見ると、本物のリアリティーにあらためて驚かされます。

下の記事のKAZUさんへのレスのなかでもちょっと触れましたが、次は現代の曲をやってみようと思っています。あれこれ考えて選んだのが、デュアルテの「カタロニア民謡による変奏曲」です。あーあ、書いちゃった・・・・。これで、あとに引けなくなりました。こういう、現在の自分の実力では、音楽的にも技術的にも、そうとうに無理のある曲を選ぶのは、やはり、曲に助けてもらって、少しでも先に行きたいと思うからです。単純にメカニカルな問題だけを考えても、いったい人間の指の運動性能というのは、練習によって、何歳くらいまでなら、進歩を続けられるものか知りませんが、多少なりとも可能性の残されているうちは、いろいろ知恵を絞ってジタバタしてやろうと思っています。
10月の末に練習をはじめた当初は、何しろたいへん難しい上に長い曲ですから、前半と後半に分けて録音すれば、演奏アップの間隔もあきすぎないでよいかなあ、と思っていたのですが、ウェブ上のギター仲間の活躍ぶりを見ているうちに、思い直しました。考えてみれば、今までの私のやり方は、HPへの演奏アップにこだわるばかりに、1、2ヶ月で一曲を仕上げては、次へ行くということの繰り返しでしたが、ステージで弾く事を前提にしている人にとっては、私のゴール、つまり録音出来る程度に仕上げることは、スタート地点に過ぎません。皆さんは、ある程度仕上がった時点で、人前で弾いてみて、その結果を以後の練習にフィードバックするということを、場合によっては、一年、二年と繰り返してゆくわけですから、最終的な習熟度がぜんぜん違います。おそらく、脳内で運動記憶が保存されている部位も、違うんじゃないかな。そう思います。
そういうわけで、これは、要するに、しばらく録音のアップはありません、ということへの言い訳です。熟成期間をおきつつ、ある程度の頻度でアップを続けるためには、複数の曲を平行して練習するしかありませんが、そのためには、当然練習時間を増やす必要が出てきます。あちらを立てれば、こちらが立たず。楽して上手くなろうと思っても、そうは問屋が卸しません。

プラハでは、ちょっとした掘り出し物を見つけました。写真は、着替えのシャツやセーターにぐるぐる巻きにして、運搬中の「掘り出し物」です。手荷物として、キャビン内に持ち込めたのはラッキーでした。詳細と写真は、レポートのページに。
プラハというところ、犬も歩けば・・・・ではないけれど、出るわ出るわ。チェコ・ギターデュオのコンサートからホテルへ帰る途中、またしても到底無視できないコンサートのポスターを発見してしまいました。「トミー・エマニュエル」ギターコンサート。この人はクラシックギタリストではなくて、いわゆるアコギ弾きですが、とにかく、巧いし、それよりも何よりも、最上級のパーフォーマー・エンタテイナーです。大ファンなんです、私。
ところが、そのポスターがチェコ語で読めず、日時こそ明日夜7時からと推察できるものの、肝心の会場がわかりません。さてどうしたものか。あれこれ思案する私を尻目に、そのとき、わが細君、少しも慌てず、その心胆、大胆にして不敵。「はがしてゆこうよ」と言うなり、ばりばりばり、くるくるくる。
そうして、もって帰ったポスターが上の写真です。おかげで、ホテルのコンシエルジュにチケットの手配を頼むことが出来ました。ところが、トミーの人気はプラハでも相当なものらしく、椅子席はすでに完売で、手に入るのは立見席のみとのこと。旅行中で、体力の方に不安のあることもあり、残念ながら今回は見送ることにしました。やっぱり、行けばよかったかなあ・・・・まあ、今夜もYouTubeで我慢するか。

さて、プラハへついて数時間もたたぬうちに街角に発見したポスターが上の写真です。チェコ・ギターデュオ・コンサート、明日、聖イルジー教会にて、夜八時より。チェコ・ギターデュオって、聞いたことのあるような、ないような。とにかく、出かけてみることにしました。
大聖堂横の小さな礼拝室にしつらえられたステージに現れたのは、年のころなら50代半ばのお二人。おそらく、ご夫婦でしょう。プログラムには、 Jana & Petr Bierhanzlとあります。イギリスに帰ったあとでHPを調べてみたら、プラハ音楽院の同級生デュオのようです。ペートルさんの手にしているのは、明らかにフラメンコギターです。一方、ヤーナさんの方は普通の杉のクラシックギターに見えます。で、プログラムが、ヴィヴァルディ、パガニーニ、アルベニス、グラナドス、フラメンコ・・・・・えっ、フラメンコ?うーん、こういうパターンは、私の経験からすると、大変まずい組み合わせです。食べあわせが悪いんですね。ウナギと梅干のような。
一抹の不安を抱えつつも、コンサートは始まりました。いきなり、結論から書いてしまうと、私の不安は、半分的中し、半分杞憂に終わったと言うべきでしょう。技術的には、最近の若手ギタリストのようなサイボーグ的な正確さこそないものの、大変に達者で安心して聴いていられる演奏でした。アンサンブルは一糸も乱れず、ほぼ完璧で、さすがに夫婦デュオと思わせるものがありました。演奏のスタイルは独特です。スペインものでも、私の歌い方の感覚とまったく違ったフレーズが次から次へと現れて、共感こそしないものの、新鮮でした。フレーズの間の息継ぎの間が極端に短くて、どことなくジプシー音楽風です。言葉にするのは難しいけれど、繰り返すたびにテンポを増して加速してゆくコサックダンスを思い浮かべていただけるとよいかもしれません。ここは東欧なんだなあ、と妙に納得しました。
ポンセのイ短調組曲からジーグをアップしました。録音は、やってもやってもうまく行かず、この一週間かなりストレスがたまりました。何とかアップしたものの、肩の荷が下りたという気持ちと、もうちょっと何とかできるのではないか、という気持ちが相半ばします。詳細は、いつものように宅録日記に。

相変わらず、ぼちぼち、休み休み練習しています。案外すんなりと、練習を始めて一週間ほどで、ゆっくりなら通して暗譜で弾けるようになったので、もう一月以上も、いわゆる「弾き込み」をしています。その割には、どうも仕上がりに納得が行きません。こういう、ある程度のテンポの必要な快活な曲には、どうしても、弾きたいテンポ、自分が適正と感じるテンポと、実際に破綻なく弾けるテンポの間のギャップをどうするかという問題が付きまといます。まあ、その埋まらないギャップを、あれこれ工面して埋めてゆくのも、アマチュアの楽しみというものでしょうね。
手持ちのCDから、ナクソスのアダム・ホルツマンの録音を調べてみると、メトロノームで148くらいのスピードです。これは、ちょっと速すぎるように感じます。できることなら132くらいで弾きたいのですけれど、私の安全運転領域は112から120くらいで、テンポが132に接近するにしたがって指数関数的な演奏破綻確率の増大が観測されます。実際には、テンポが理想値132に近づいても、おそらく演奏の好ましさは、リニアに(一次関数的に)しか増加しないでしょうから、テンポアップの努力というのは、実に非生産的な作業であるといえます・・・・うーん、何を分析しているもんだか。
実は、週末に録音してみたのですが、演奏破綻関数のテンポ依存性を確認したのみに終わりました。ひらたく言うと、がんばって速めのテンポで弾いたらボロボロだったということです。ところが、悔しいので、ボツテイクの中の使えそうな部分を切り貼りしてつなげてみたら(このバージョンはアップはしません)案外聴ける演奏になっていたので驚きました。つまり、自分のボロボロだという主観的な判断とは裏腹に、個々の部分はさほど大きく破綻していないということです。ただ、部分というのは少しずつ大きくしてゆけば、やがて全体になるものやら、はてまた、どこかに非連続的に変化する特異点のあるものやら、よくわからない部分もあります。