ここまで読んでこられた方なら容易に想像がつくと思いますが、その企画書の内容というのは、次のようなものでした。(あくまで周辺情報からの推測ですが)
1.ノバーティスはアリスキレンの開発権をR&Dベンチャーに譲渡(ライセンスアウト)する
2.ベンチャーは十分に採算のとれるようなアリスキレンの工業的製造法を開発し、第2相までの臨床試験を行い、POC(プルーフ・オブ・コンセプト、具体的なターゲット疾病に対する薬の効果のこと)を確立する
3. この時点でノバーティスは、優先的なコールバックの権利(アリスキレンの開発権を買い戻す権利)を有する
もちろん、開発がうまく行くとは限りません。また、うまく行ったとしても、何かの理由でノバーティスがコールバックの権利を行使しない場合は、どこか別の製薬会社へのライセンスを検討しなければなりません。別のライセンス先が見つからなければ・・・ベンチャーは多額の借金を抱えて倒産の憂き目を見ることになります。さて、その役員会で役員の一人が「で、そのR&Dベンチャーというのはどこの会社のなのかね?」と、アリスに尋ねたかどうかは知りませんが、もし尋ねたのだとしたら、アリスはこう答えたはずです。「その会社は、これから、私がノバーティスを退職して、設立するのです・・・・」 スピーデルという創薬ベンチャーは、ただひとつ、アリスキレンという薬を世に出すためにのみ生まれてきた、ほんのわずかの中枢機能以外のすべてを外部委託でまかなう、バーチャル・カンパニーであったのです。
その後の詳細をはしょって結論だけを書けば、スピーデルは見事アリスキレンの開発に成功し、コールバック・オプションを行使したノバーティスは開発を継続して、昨年ついにアメリカと欧州の当局から新薬承認をとりつけるに至りました。世界初の経口レニン阻害薬の誕生です。スピーデル自体も、循環器系を中心にいくつものパイプラインを抱える立派な中堅ベンチャーに成長しました。このスピーデル設立のいきさつを思い出すたびに、創薬ベンチャーをはじめる人というのは、大航海時代の幕開けのころ、地球は丸いという(当時の)仮説を信じて大西洋にのりだしていったコロンブスのようだなあ、と思います。違うところといえば、大西洋を西へ西へと進んでも、海の水が轟音とともに無限の深遠へと流れ落ちているような巨大な滝に出会うことはありませんが、新薬の開発の場合には、そういう途方もない滝が結構あちらこちらに見られるということでしょう。私も会社でデスクに向かっていると、なんとなく遠くの方から地響きのような滝の音が聞こえるような気がすることがあります。果たして、わが社は黄金の国、ジパングへたどりつけるのか?
ところで、ファイザーの話はどうなったのかな?
続く
今回のファイザーのリストラで閉鎖になったのは日本の研究所だけではないのですけれど、職を失った研究員たちの再就職のチャンスについては、すでに書いたように、日本と欧米では雲泥の差があります。このあたりにEBOによるベンチャーの設立という道が選択された理由があるのでしょう。また、ファイザー本社としても、日本の雇用の特殊性を考えれば、道義的にスピンアウトを積極的に支援せざるを得なかったものと思います。しかし、ファイザー本社のトップマネジメントを納得させるのは、大変な骨折りだったことと想像されます。結局、380名の転進先の内訳は、ファイザー内の他部署に吸収(90名)、転職(210名)、スピンアウトに参加(80名)と報道されました。
このスピンアウトの話を聞いて、私が一番最初に思い出したのはスピーデルという会社のことでした。スピーデルを創立し、現在もCEOとしてそのビジネスを引っ張っているのは、アリス・ハックスレイ。アリスのスピーデル設立のいきさつは、こうです。チバ・ガイギーのバイオテクノロジー部門に研究員として職を得たアリスは、その後めきめきめきと頭角を現し、チバ・ガイギーとサンドが合併しての現在のノバーティス・ファーマとなった時には、グローバル・プロジェクト・マネジャーとして、癌・循環器系薬の臨床開発のマネジメントを担当していました。製薬会社同士の合併の際には、お互いのパイプライン(開発候補化合物)の統合・整理が行われ、当然のことながら、開発候補から外れる化合物も出てきます。チバ・ガイギーとサンドの合併に際して、パイプラインからこぼれ落ちた化合物の中にSPP100(アリスキレン)がありました。アリスキレンの化学構造が複雑すぎて、工業規模の合成に費用がかかりすぎる点、また、当時、レニン阻害剤の薬効のはっきりとした証明がなかった点が、開発候補から外れた理由となったのです。アリスキレンは、レニンという酵素を阻害して血圧を下げる働きをします。アリスキレンに大きな期待をかけていたアリスは、この決定に大いに憤慨して、ノバーティスの役員会に一通の企画書を提出します。その企画書の内容というのは・・・・
続く
ファイザー中央研究所の閉鎖は、実は世界中の事業拠点を巻き込んだ1万人規模にのぼる人員削減プランの一環です。ファイザーがこんな大胆なリストラ策を打ち出した背景には、主に二つの要因があります。ひとつは、2010年に迫った主力商品の高脂血症薬リピトールの特許切れです。ご存知の方も多いと思いますが、欧米では特許切れと同時にほとんどの新薬が安価な後発ジェネリックに置きかえられてしまいします。リピトールはファイザーの売り上げの20%近くを稼ぎ出していると言われていますので、その損失を補完するのは容易ではありません。しかし、世界最大の製薬企業がこのような状態にただ手をこまねいているはずもなく、リピトールを超える超大型新薬との期待のかかるコレステロール降下薬トルセトラピブの臨床試験は、最終段階の第三相を迎えて、当局による承認も目前。経営は安泰・・・・のはずだったのです。昨年の12月までは。
ところが、まさに晴天の霹靂。12月2日、ファイザーはこの8億ドルもの研究開発費をつぎ込んだトルセトラピブの開発中止を発表しました。15000人規模の臨床試験の結果、脳卒中や心臓発作などを防止するはずのトルセトラピブが、あろうことか、その服用によって逆に死亡や心血管障害のリスクが増大させることがわかったためです。トルセトラピブは、CETPというたんぱく質の働きを阻害して、いわゆる善玉コレステロールを増やし、悪玉コレステロールを減少させます。実際に、臨床試験でも善玉コレステロールの増加は、はっきりと確認されていますので、トルセトラピブによる死亡率の上昇はまったく予期せぬ結果であり、現在でもその原因ははっきりしません。このあたりに、ほとんど無数とも思えるコントロール機構が複雑に作用しあって維持されている生き物の体の働きに、人間が浅薄な理解でデザインした薬物をもって干渉することの、本質的な危うさがあるといえます。だからと言って、薬を飲むな、薬を開発するな、と言う立場を、私はとりませんが、人間の体には、風が吹けば桶屋が儲かる式の不可思議があることを、よく肝に銘じておくべきだとは思います。
さて、話がやや横道にそれてしまいましたが、リピトールの特許切れ、トルセトラピブの開発失敗を踏まえて、ファイザーは大型リストラに踏み切ったわけです。
続く

先日、私の勤務する会社の事業部のひとつが従業員・土地・建物ごと他社に売られてしまったことは書きました。全社員600名の約三分の一が対象になります。やれやれ、大変なことだと思っていたら、今度は逆にカリフォルニアの会社を買収したとのアナウンスがありました。というわけで、わが社はわずか2週間のうちに、事業部構成的にはまったく別の会社になってしまいました。欧米のバイオベンチャーは、言ってみれば、AVコンポのようなもので、さまざまな機能を持つユニット(あるいは個人)の寄せ集めです。カセットデッキやターンテーブルのような陳腐化したパーツは次々と切り捨てられ、まだまだ有用なユニットでさえ、新しい機能をもった新製品が出たといえば、容赦なくアップグレードされてしまいます。しかし、こういう大胆な経営ができるのも、切り捨てられた従業員がそれぞれの市場価値に応じて、別会社に再就職してゆけるだけの雇用の流動性が確保されているからこそです。だいたい、会社に切られる前に優秀な人は、実力に見合うだけの待遇が得られなければ、さっさと他社へ移って(ヘッドハントされて)いってしまいます。
ひるがえって、日本はどうかというと、終身雇用制の崩壊などと言っても、それはリストラによる解雇や肩たたきが日常茶飯事になってきたと言うだけのことであって、実質は旧態依然。本当に実力主義にのっとった流動的でダイナミックな労働市場が形成されたと言うには、ほど遠い状態です。そんな中で、今年の初め、ファイザー日本法人の名古屋中央研究所の閉鎖が発表されました。ファイザー中央研究所は総勢380名。これだけの数の研究員の首が一気に飛べば、リクルートエージェントには求職相談の案件が殺到し、日本のファーマ・バイオ関係の中途採用市場は大混乱を起こすのが当然の成り行きと言うものですが、それが不思議なほど静かだと言うのです。何かあるんだろうな、と思っていたら、案の定、先月の日経ネットにこんな記事が載りました。
「製薬世界最大手、米ファイザーの中央研究所(愛知県武豊町)が来年4月にも研究者らの出資による新薬開発のベンチャー企業として独立する。米本社が閉鎖を決めたことから、約80人の研究者が中心となって新会社を設立し、研究施設や新薬候補物質などの資産を譲り受ける。国内外の投資ファンドからも資金調達 する考え。日本では例が少ない従業員による企業買収(EBO)によって再出発する。新会社には研究者らが経営の主導権を握れる比率を出資する意向で、社長は現在研究所長の長久厚氏で調整中。ファンドから運転資金3年分にあたる100億円前後を調達する計画で、交渉を進めている。事業が軌道に乗った数年後の株式上場を視野に入れる」
続く

うーん、ウサギも何を考えたか、いきなり重いです。とはいえ、日本にも大学発の創薬ベンチャーがニョキニョキと、梅雨時のキノコのように乱立するようになりました。ただ、残念ながらビジネスとして成立しそうなものは、皆無に等しいのではないでしょうか。ひところに言われたほど、抗体医薬の開発も容易くはなく、結局は古典的な小分子の開発に回帰せざるを得ないというのが現実です。
ユニークなターゲットを見つけた。ターゲットバリデーションもすんだ。なけなしの予算をつぎ込んで小規模のスクリーニングを行い、いくつかのヒット化合物も見つけた。さあ、これで薬ができるぞ、と思っているベンチャーがほとんどだったのではないでしょうか。ところが、どっこい。プライマリー・ヒットからリード、臨床候補までの道は遠いのです。創薬には、ケミストリーが必須であり、ケミストリーというのはとんでもない金食い虫だということが、ベンチャー創立の段階でなぜ理解されていなかったのか、まったく首をひねりたくなります。小さなバイオテクにとって、自前で設備投資をしてケミストリーを行うのは、まったく資金的に問題外ですから、当然CROを頼ることになります。H2LのできるCROなんて日本にはありません。円安のおり、海外でH2L、4FTE・1年、LOで6FTE・1.5年を行えば、安く見積もったって5億円くらいはかかるでしょう。成功率が7割としても、失敗率は3割。これに首を縦に振るベンチャー・キャピタルが日本にはあるでしょうか。
日本の大学発のターゲットには、ユニークで魅力的なものが少なくありません。これを何とかモノにしたかったら、資金はリスク・テイキングのカルチャーのある海外から取ってくるしかないでしょうね。研究拠点も海外にして・・・・。そうすると、人が日本から出て行ってしまいます。これを、頭脳流出というのでしょう。そういえば、ギタリストでも海外留学から帰ってこない例がけっこうありますね。でも、そういう人は、どうも女性に多いように思います。男というのは、一見勇気のあるようで、ほんとは基本的に小心者なんでしょうね。
相変わらずの、支離滅裂、失礼。
写真は、最近買った新車です。(うそ)

私のサイトで最もアクセス数の多いページは、実はトップページではなくて「タキソールの話」という抗がん剤のことを書いたページなのです。タキソールというのはイチイの木からとれる細胞毒で、その高い抗がん活性と特異な構造が有機合成化学者の興味を呼んで、全合成一番乗りを目指した熾烈な競争が行われました。もう、20年近くも前のことです。私たちのグループが直接参加したわけではありませんけれど。
昨夜遅く、フラフラとネットを散歩 していたら、そのタキソールがチューブリン二量体と複合体を形成している様子が電子線解析を使って解明されているのを見つけました。模式的に描かれたタン パクの上に蚊のようにくっついている白いものがタキソールです。毎日、実験ノートに構造を描くのに骨の折れた、あの大きなタキソールが、チューブリンの上 ではなんと小さく見えることか。なんだか、すごく感動してしまって、じっと30分近くもその姿を眺めていました。まるで、イトカワに軟着陸したはやぶさの ようです。本当に、細胞の中には宇宙があるんだなあって思います。
ところで、タキソールの話以外の私のサイトの抗がん剤の話は、ちょっと内容的には古くなりました。もう、情報としてはほとんど参考にならないと思います。 改訂しなくては・・・・とは思っているのですが。
基本的に私が面白いと思ったことを、あくまで自分勝手に書きつけてあるわけです。そうはいっても、一応の仮想読者層というものがありますので、あまりにも一般性のない話は、いくら自分が面白いと思っても、やはり、書きにくいものです。ここのところ、ずっと更新が滞っていたのは、公私共に多忙、且つ過ストレスであったということのほかに、「面白いなあ」と思ったネタがあまりに私の専門に偏りすぎていたという事情があります。
しかし、それしか書くことがないのであれば、まあ致し方ない。誰にはばかることもない。えい、書いてしまえ・・・というわけで、今回の話題は、先日、北イングランドはヨークシャーのヨーク大学で開かれた、SBDD講習会の話です。SBDDというのは、Structure-based drug design(構造に基づく薬物設計)の略で、薬物の作用する受容体や酵素と薬物が相互作用をした結果できるタンパク・薬物複合体の三次元構造に基づいて、合理的に新しい薬を設計・開発する手法のことです。酵素の持つ高い基質選択性を説明するモデルとして、鍵と鍵穴のアナロジーはあまりにも有名ですけれど、このタンパク・薬物複合体の構造を知るということは、要するに鍵が鍵穴にはまったところをスナップ写真に撮ってくるようなものです。その構造というのは、X線結晶構造解析やNMRなどの手法を使って明らかにすることが出来ます。こういう動かぬ証拠を手に新しい薬の構造を考えてゆくことで、従来のように闇夜の鉄砲的なランダム・スクリーニングに頼らない、効率的な新薬の開発が出来る・・・のじゃあないかなあ・・・出来ればよいなあ・・・上手くいったらボーナスでるかなあ・・・というわけです。
いやあ、やっぱり書きはじめてみると重いですね。そこで、さっさと話題を変更することにします。写真は、ヨークを取り巻く城壁から街の中心部を眺めたところ。遠くに大聖堂が見えます。

トコトコ歩いていって見上げて見たところが下の写真。紺碧の空に突き刺さるようなその威容に圧倒されます。

この街は、古くはバイキングやスコットランド人の侵入からイングランドを守る北の軍事上の拠点でありました。ニューヨークというのは、新大陸へ渡った人たちが故郷のヨークを懐かしんでつけた名前なのかもしれませんね。なんだか、支離滅裂だなあ。

なんだか舌をかみそうな名前ですが、これは略してDHEA。いま巷で話題の納豆ダイエットで体重が落ちるのはこの物質の作用なのだそうです。なんでも、納豆にはイソフラボン(上の化学構造式)とよばれる物質が大量に含まれていて、これが体内でDHEA生合成の原料になっているとか。DHEAと言うのは、なんとかステロンという名前からもすぐわかるように、一種のステロイドホルモンです。ちょっとしらべたら、男性ホルモンであるテストステロンと非常に良く似た生理作用を持っているようです。一方、イソフラボンの方は女性ホルモン様の作用があるようで、食品安全委員会はイソフラボンをサプリとして摂取することには慎重であるように警告しています。http://www.nikkeibp.co.jp/archives/421/421862.html イソフラボンにせよ、DHEAにせよ、こういう微量で強力な生理作用を及ぼすホルモン様のものを大量に摂取するのは、基本的に非常に危険なことです。がんの中のある種のもの、乳がん、子宮がん、前立腺がんなどの発生には、男性・女性ホルモンが大きくかかわっていることは周知の事実です。でも、上のサイトのデータを見ればわかるように、納豆のイソフラボン含有量は他の食品にくらべて特に多いわけではありませんね。ダントツなのは黄な粉です。そのうちに黄な粉ダイエットなんていうのがはやるかも知れません。
ところで、あの番組のデータは捏造だったんですね。やれやれ。大体、納豆の摂取と体重の変化の間の因果関係を実験的に証明するなんていうのは、そんなに簡単なことではありません。「納豆を食べたら痩せた」というデータを示すのは簡単ですが、それは「痩せたのが納豆を食べたからだ」と言うことを示すのとはまったく違うことです。だから、私はあの手の実験番組はデータ捏造があっても、なくても、基本的に信用しません。たいていの場合、実験のデザイン自体があまりにいいかげんで、とても意味のあるデータが取れるとは思われないからです。
体重測定一つをとっても、排便排尿の前後、飲食の前後では、見かけの体重は場合によってはキログラム単位で変化します。体重の気になる方は、体重計の表示に一喜一憂する前に、まず毎回の体重測定条件を一定にして有意なデータを取ることをお奨めします。日中のデータはあてになりません。一番良いのは毎朝、起床後トイレに行った後すぐに計ることでしょうね。就寝直前の体重と比べてみると数百グラム減っているのが普通です。それだけ寝ている間に発汗しているのです。