
その、私がよく散歩に行く隣町には、一軒の古本屋があります。今までは、なんとなく敷居が高くて、店に足を踏み入れたことが無かったのですが、先日の散歩の折に、ふと思いついて立ち寄ってみました。そもそも、古本屋というのは、どんな店でも、うずたかく積み上げられた本の山で雑然としているものですが、この本屋さんの「雑然」はとびきりの筋金入りで、エントロピーは増大するという熱力学の法則を、自ら証明して見せているかのような、それは立派な「雑然」でありました。さて、その目のくらみそうな古書の山の中から、わが女房殿がなかなか面白そうなものを見つけ出してくれました。

というわけで、なごりを惜しみつつも、牛たちに別れを告げて、テムズ川沿いの小道を、ぼちぼちと帰途についたのでした。
ところで、この週末は、珍しく、町のアートホールでギターのコンサートがあったので、聴きにいってきました。リチャード・デュランという初めて聴くギタリストです。 いわゆるクラシックのコンサートではありませんので、場合によっては、かなり私の趣味から外れたものを聴かされる可能性もあるかなあと、ある程度覚悟を決めてゆきましたが、それが、けっこう楽しめました。前半が、バッハ、バリオス、タレガ、ウォルトン。後半の目玉が、ライヒのエレクトリック・カウンターポイントと自作品という構成でした。 特に、ライヒの実演を聞く機会がなかなかありませんので、収穫だったと思います。自分の演奏の多重録音にエレアコの実演を重ねながら、ビデオクリップ を流すという凝った演出でした。
リチャード・デュランのHPは、こちら。
彼の使う ギャリー・ハーンギターのサイトはこちら。ラティス式の表板を使ったモデルがちょっと面白いです。それにしても、6000ポンドでは、ポール・フィッシャーより高いですねえ。

はい、なぞの物体でもなんでもありません、ご想像のとおり、牛です。そうです。ここには牛が放牧されているのです。これで、柵がめぐらされている理由もわかりますね。このメドウは、人畜共栄の地だったのです。
ところで、ここで気持ちよさそうに寝そべっていらっしゃる牛さんは、この後、すっくと立ち上がったかと思うと、おもむろに、われわれ夫婦(二人で散歩しておりました)に尻を向け、何の予告も無く、豪快なしぶきを上げて排尿なさいました。 いや、われてくだけて裂けて散るかも・・・という趣でした。

「まだ々」というのは、繰り返し記号の使い方としては間違いかな?まあ、いいや。
くるりと振り返って、メドウのお花畑に背を向けると、遠く見える木々のこずえの間から、にょきっと刺のように空に突き刺さっているのが、町の教会の尖塔です。と、さほど遠くない草むらの中でなにやらごぞごぞと動く、大きな茶色のなぞの物体が・・・・

こういう草地のことを、英語で Meadow といいます。Meadow は、メドウと読んで、先に書いたように、河岸の低湿地が草原になっているようなところのことをいいます。イングランドのように、地質学的に古い地形、平らで山らしい山など無く、どこまでもゆったりとうねった丘の続くような土地を流れる川は、日本の川のように急峻な山地から一気に海に流れ込むような川とは、まったく趣を異にします。川の水面の高さと周りの地面の高さがほとんど同じで、河岸には、土手などというものはありません。平らなテーブルの上に一筋に水をこぼしたような、そんな川です。ですから、少し雨が続くと、こういう草地は、いとも簡単に水没して、あっという間に海のようになってしまいます。
この日のメドウには、そんな大水の心配など無用で、見渡すかぎりに緑に黄色をあしらった草の海が広がっていました。

リョウシキリガクなんていうウットウシイ話題が続きますが、書いている本人が面白がっているものだからいたし方ありません。それに、近代科学において、これほど理論の根本的なところで専門家の間に解釈の一致を見ない分野なんて、ほかに見当たりません。私は、宇宙の起源、虚数の時間!?、クオークだの、超ひもだのということには、あんまり興味がわかないのですけれど、なぜ物質が粒子であると同時に波でありえるのか、ということに関しては、これだけは出来ることなら生きているうちに納得した上であの世に行きたいなあ、と思います。まあ、あの世で納得できるなら、それでもいいか、とも思いますが。
さて、城壁の残骸をぐるりと回って、さらに草むらをどんどん歩いてゆくと、また木戸があります。鍵がかかっていますが、簡単な金属の鉤式で、自由に開け閉めできるようになっています。草原はこういう柵でいくつかの区画に囲い込まれています。どうしてこういう風に柵がしてあるのかは、また、近いうちにお話します。

城壁の跡は、もう少し近づいてみると、こんな感じです。ずいぶん古そうに見えますが、たかだか17世紀半ばころのものです。ローマの遺跡の方が、よほど立派ですね。市民革命(清教徒革命)の議会派を指揮したのは、オリバー・クロムウェルです。もう、20年以上も前、私が始めてイギリスに来たときに泊まったロンドンのホテルが、クロムウェルロードというところにあって、なんだか歴史を感じさせる通りの名前だなあ、と思って妙に感激したのを覚えています。その、クロムウェルロードには、有名な自然史博物館なんかもあります。サイエンスに興味のある方は、必見です。

その牧草地の中にも、所々に、昔の城壁の跡が残っています。遠めに見ると、モダンアートのオブジェのようです。
ところで、「量子力学の解釈問題」を読みながら、ふと、考えたのですが、どうして陽子と電子の電荷は、正確に同じで正負だけが反対なんでしょうか。同じでなければ、中性の原子が電荷を持ってしまいすから、あたりまえといえば、あたりまえなのですけれど。それにしても、自然界で、正負の違いがあるとは言え、異なったものがまったく同じ物理量を持つというのは、すごく不自然な気がします。何か、正負の性質を持たない電気素量の素のような粒子があって、それに正負の性格を与える粒子が結合することで電子と陽子が成立していると考えれば、きれいな絵になるなあ、と思います。で、ウィキで調べてみると、「なになに、陽子は+2/3eの電荷を持つアップクオーク二つと-1/3eの電荷を持つダウンクオークひとつとから出来ている云々・・・」
うーん、蚊帳吊りウサギの仮説、破れたり。でも、素粒子物理って、なんだか胡散臭いですよねえ。自然のおおもとが、ほんとうに、どうしてこんなに(必要以上に)複雑な構造をしていなければいけないのか、どうしても腑に落ちません。

その糸杉を背にして、ぐるっとあたりに視線をめぐらせても、閉園時間の迫った公園には、ほとんど人影がありません。入り口の木戸にかぎがかかる前に、そそくさと、反対側の牧草地へ通り抜けます。

下の記事に書いたとなりの町の公園は、天気の良い日に散策するにはとても良いところです。古城跡の公園といっても、少し歩けば、テムズ川沿いの広大な牧草地とつながっていて、何の遊具のあるわけでもない、ただの草原です。こういう牧草地の本来の機能は、川が氾濫したときに市街地まで水が浸らないようにするための緩衝地帯なんですね。木戸をくぐって入ると、突然、目の前に、なんとも唐突に一本の糸杉が現れます。