Kayatsuri Blog

22/02/2009

なぜ?

Filed under: 日々のこと — 蚊帳吊りウサギ @ 10:03 pm

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「なぜ」という言葉は不思議です。昔からそう思っていました。「なぜ」には、まったく意味の異なった二つの用法があるにもかかわらず、何の断りもなく、どちらの場合にも、同じ「なぜ」が使われるからです。もう少し突っ込んで言えば、同じ「なぜ」が使われるがゆえに、まったく質の異なった問いが、あたかも本質的に同じ種類の問いであるかのような誤解を、言葉を使うもの、つまり、私たちに与えているように思われます。具体的には、二種類の異なった用法とは、次のようなものです。

用法1
「なぜおまえは、無銭飲食なんかしたんだ?」
「いや、あんまり腹が減っていたもので、、つい、、、」

用法2
「なぜ、りんごは木から落ちるのか?」
「りんごと地球の間に万有引力が働くからである」

お分かりでしょうか。用法1は、意識や感情を持つものに対して、ある言動を取るに至った成り行きを問うものです。一方、用法2では、意識とは無縁の無生物に起こる現象について、その現象の背後にある物理法則は何か、ということをたずねています。私も、もちろん、日常的に用法2の「なぜ」を使います。会社で実験データを見ながら、「なぜ、こんな結果になったんだろう」と、悩まない日はありません。用法1の「なぜ」とは違った、用法2専用の「なぜ」に相当する言葉があったらなあ、と思うことも多いのですが、ほかに言葉がないので仕方なく使っています。仕方なく使っているうちに、自分がいま使った「なぜ」は、どちらの「なぜ」だったのか、自分でもわからなくなったりして、いかにも気持ちが悪いのです。

自然現象に「なぜ」を持ち込むのは、ある意味で自然の擬人化です。決して悪いことではありませんが、よほど注意していないと、知らず知らずのうちに落とし穴にはまります。他人を落とし穴にはめようと、あえて用法2をセンセーショナルに使うことも頻繁におこなわれます。「なぜ、生物は進化するのか」なんて、よく聞くフレーズです。

自然の中に何らかの意思を見出そうとするのは、人間の本質、いわば、本能だとおもいます。宗教の成立が、このことと深くかかわっていることには、疑いの余地がありません。ヒトは群れを作って生きる社会的な動物ですから、群れの構成メンバーの行動からその意思を読み取って、そのつど適切な対応を取ることが生存のためには不可欠です。考えてみれば、ヒトは、その昔、サルだったころから、長い進化の過程でこの能力をひたすらに磨き上げてきたました。夫の浮気をかぎつける妻の臭覚などは、ほとんど超能力といっても良いレベルに達していることがあります(あるそうです)。ん、ちょっと脈絡ないかな・・・。まあ、そういうわけで、その優れた能力を勢いあまって適用範囲外の無生物にまで適用してしまうのも、無理からぬことなのかもしれません。

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