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	<title>Comments on: Posterior probability</title>
	<link>http://blog.kayatsuri.co.uk/2008/10/06/posterior-probability/</link>
	<description>things wise and otherwise</description>
	<pubDate>Wed, 08 Sep 2010 05:51:50 +0000</pubDate>
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	<item>
		<title>By: 蚊帳吊りウサギ</title>
		<link>http://blog.kayatsuri.co.uk/2008/10/06/posterior-probability/#comment-1518</link>
		<author>蚊帳吊りウサギ</author>
		<pubDate>Thu, 09 Oct 2008 18:46:31 +0000</pubDate>
		<guid>http://blog.kayatsuri.co.uk/2008/10/06/posterior-probability/#comment-1518</guid>
		<description>&lt;p&gt;＞ただし・・・賞品を獲得する確率は50%になると思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そのとおりなんです。これは、一番の扉を開いて当る確立が三分の一、二番の扉は三分の二だから、(0.5x0.33)+(0.5x0.66)=0.5ということで、後から来た別の人が、何も知らずにランダムに選んだ場合、当る確立は５０％になる、ということだろうと思うんです。ここで、たまたまこの人が二の扉を開いて当りを引いたとします。こりゃあ縁起が良い、というので、この人が毎回、毎回、二の扉を開けつづければ、その人にとっては何ら合理的な説明のつかないまま、三分の二の勝率を維持しつづけることになります（あくまで、この人が扉を開けるにいたる経緯が毎回同じだとしての話ですが）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;うまく自分の意図することが表現できているかどうか、はなはだ自信がないのですが、上に書いたようなことが、現実にミクロのレベルでも、マクロのレベルでも起こっているかもしれないなあ、というのが私の妄想です。等価であるはずの事象が、何らの合理的な説明のつかないまま、確率的に等価でない・・・・。これが、縁起だとか、運命だとかいうものを連想させるんです。&lt;/p&gt;
</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>＞ただし・・・賞品を獲得する確率は50%になると思います。</p>
<p>そのとおりなんです。これは、一番の扉を開いて当る確立が三分の一、二番の扉は三分の二だから、(0.5&#215;0.33)+(0.5&#215;0.66)=0.5ということで、後から来た別の人が、何も知らずにランダムに選んだ場合、当る確立は５０％になる、ということだろうと思うんです。ここで、たまたまこの人が二の扉を開いて当りを引いたとします。こりゃあ縁起が良い、というので、この人が毎回、毎回、二の扉を開けつづければ、その人にとっては何ら合理的な説明のつかないまま、三分の二の勝率を維持しつづけることになります（あくまで、この人が扉を開けるにいたる経緯が毎回同じだとしての話ですが）。</p>
<p>うまく自分の意図することが表現できているかどうか、はなはだ自信がないのですが、上に書いたようなことが、現実にミクロのレベルでも、マクロのレベルでも起こっているかもしれないなあ、というのが私の妄想です。等価であるはずの事象が、何らの合理的な説明のつかないまま、確率的に等価でない・・・・。これが、縁起だとか、運命だとかいうものを連想させるんです。</p>
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	</item>
	<item>
		<title>By: あ次郎</title>
		<link>http://blog.kayatsuri.co.uk/2008/10/06/posterior-probability/#comment-1517</link>
		<author>あ次郎</author>
		<pubDate>Thu, 09 Oct 2008 14:31:34 +0000</pubDate>
		<guid>http://blog.kayatsuri.co.uk/2008/10/06/posterior-probability/#comment-1517</guid>
		<description>&#62; えーと、たぶん、あとからやってきた別の人にとっても二番目の扉を選択するのが正解なんだとおもいます。
そうでうね。ただし、後からやってきた人が、前の人と司会者の行動について何の情報も持っていないとすると、扉の選択はランダムになり、賞品を獲得する確率は50%になると思います。考えてみれば当たり前のことですが、知識の有無で期待値は変わりますね。

自然界で確率というと量子力学のことに連想が行くのですが、「観測するまで素粒子の位置は確率でしか記述できない」とか、「アインシュタインは『神はサイコロを振らない』と言った」とか、また最近の説では「可能性の数だけ世界がある」とか、チンプンカンプンのお話ばかりです。宇宙についての知識が増えると、何がもらえますかねえ。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>&gt; えーと、たぶん、あとからやってきた別の人にとっても二番目の扉を選択するのが正解なんだとおもいます。<br />
そうでうね。ただし、後からやってきた人が、前の人と司会者の行動について何の情報も持っていないとすると、扉の選択はランダムになり、賞品を獲得する確率は50%になると思います。考えてみれば当たり前のことですが、知識の有無で期待値は変わりますね。</p>
<p>自然界で確率というと量子力学のことに連想が行くのですが、「観測するまで素粒子の位置は確率でしか記述できない」とか、「アインシュタインは『神はサイコロを振らない』と言った」とか、また最近の説では「可能性の数だけ世界がある」とか、チンプンカンプンのお話ばかりです。宇宙についての知識が増えると、何がもらえますかねえ。</p>
]]></content:encoded>
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	<item>
		<title>By: 蚊帳吊りウサギ</title>
		<link>http://blog.kayatsuri.co.uk/2008/10/06/posterior-probability/#comment-1516</link>
		<author>蚊帳吊りウサギ</author>
		<pubDate>Wed, 08 Oct 2008 18:40:34 +0000</pubDate>
		<guid>http://blog.kayatsuri.co.uk/2008/10/06/posterior-probability/#comment-1516</guid>
		<description>えーと、たぶん、あとからやってきた別の人にとっても二番目の扉を選択するのが正解なんだとおもいます。たとえば、最初に一番の扉を開けた本人が突然記憶喪失に陥ったとしても、本質的には何も変わらないわけですから、これは、何も知らない別の人がやってくることと等価ですよね。このパラドックスのミソは、司会者がどこに当りがあるかを知っていることで、本来ならばランダムに起こる可能性のある、司会者が当りの扉を開けてしまうという「場合の数」がなくなっていることなんですね。そのことによって、確立を計算する際の分母が変わってしまっているんです。ある状況にいたった経緯が、表面的にランダムに等価に起こるはず事象の確立を変えてしまっている、面白い例ですね。

でも、あ次郎さんのおっしゃるように、別の人がやってくるというシチュエーションからは、とても奇妙な妄想が引き出せます。私たちは、今、目の前に起こっている現実の世界の事象は、まったくランダムにおこるという前提で暮らしています。少なくとも、サイエンスの世界ではそうです。でも、考えてみれば、私たちは、この世界が今の状態にいたった経緯を知りません。言ってみれば、あ次郎さんの言う、後からきたべつの人です。現実に起こりうる可能性のあることの多くは、すでに当りの場所を知っている司会者によって、起こりえないことになっているかもしれません。別に、司会者＝神というような安易なアナロジーを持ってくるつもりはありませんが、なんとなく、上の例が、どこかで運命とか、自由意志というものと関係しているように、私には思えます。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>えーと、たぶん、あとからやってきた別の人にとっても二番目の扉を選択するのが正解なんだとおもいます。たとえば、最初に一番の扉を開けた本人が突然記憶喪失に陥ったとしても、本質的には何も変わらないわけですから、これは、何も知らない別の人がやってくることと等価ですよね。このパラドックスのミソは、司会者がどこに当りがあるかを知っていることで、本来ならばランダムに起こる可能性のある、司会者が当りの扉を開けてしまうという「場合の数」がなくなっていることなんですね。そのことによって、確立を計算する際の分母が変わってしまっているんです。ある状況にいたった経緯が、表面的にランダムに等価に起こるはず事象の確立を変えてしまっている、面白い例ですね。</p>
<p>でも、あ次郎さんのおっしゃるように、別の人がやってくるというシチュエーションからは、とても奇妙な妄想が引き出せます。私たちは、今、目の前に起こっている現実の世界の事象は、まったくランダムにおこるという前提で暮らしています。少なくとも、サイエンスの世界ではそうです。でも、考えてみれば、私たちは、この世界が今の状態にいたった経緯を知りません。言ってみれば、あ次郎さんの言う、後からきたべつの人です。現実に起こりうる可能性のあることの多くは、すでに当りの場所を知っている司会者によって、起こりえないことになっているかもしれません。別に、司会者＝神というような安易なアナロジーを持ってくるつもりはありませんが、なんとなく、上の例が、どこかで運命とか、自由意志というものと関係しているように、私には思えます。</p>
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	<item>
		<title>By: あ次郎</title>
		<link>http://blog.kayatsuri.co.uk/2008/10/06/posterior-probability/#comment-1514</link>
		<author>あ次郎</author>
		<pubDate>Wed, 08 Oct 2008 15:20:38 +0000</pubDate>
		<guid>http://blog.kayatsuri.co.uk/2008/10/06/posterior-probability/#comment-1514</guid>
		<description>この確率の話、たまたまいま読んでいる本にも載っていました。有名な問題なんですね。
最初の選択が間違っている確率が３分の2だから、扉を変更するのが正解・・・で納得しかけたのですが、仮に、３番目の扉があいた後にやってきた別な人に選択させるとすれば、その人にとっては五分五分の確率？？？</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>この確率の話、たまたまいま読んでいる本にも載っていました。有名な問題なんですね。<br />
最初の選択が間違っている確率が３分の2だから、扉を変更するのが正解・・・で納得しかけたのですが、仮に、３番目の扉があいた後にやってきた別な人に選択させるとすれば、その人にとっては五分五分の確率？？？</p>
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