Kayatsuri Blog

06/10/2008

Posterior probability

Filed under: 日々のこと — 蚊帳吊りウサギ @ 09:20 pm

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で、この3ヶ月ほど、相変わらず、いつものようドタバタしていたわけですが、そういえば、帰国した際の飛行機の中で、「21(トゥエンティーワン)」という映画を見ました。ものすごく大雑把に要約すると、MIT(マサチューセッツ工科大学)の学生がブラックジャックの必勝方を開発、教授をリーダーとするギャンブル・グループを結成し、ラスベガスで大稼ぎをするという、実話に基づいたお話です。その映画の中にこんなシーンが出てきます。

数学の講義中に、教授が学生を相手にこう尋ねます。「今、仮に君がテレビのゲーム・ショーに出演していたとする。君の前には三つの扉。ひとつの扉の後ろには、スポーツカー。残りの二つの扉の後ろにはヤギ。正しい扉を選べば、ピカピカの新車が手に入るというわけだ。さて、ここで、君は1番の扉を選んだとする。すると、司会者は、おもむろに3番の扉を開く。そして、その中にはヤギ。スポーツカーは残った二つの扉のどちらかにあるというわけだ。ここで、君には最初に選んだ1番の扉を2番に変更することができる。君は、扉を変更するべきだろうか?」件の学生は、一瞬の躊躇もなくこう答えます。「扉を変更するべきです・・・事後確立の問題だから。司会者が3番の扉を開けた時点ですべてが変わってしまう・・・・・」

うーん、しかし、ちょっと考えただけでは、スポーツカーが1番の扉の後ろにある確立も、2番の後ろにある確立も、それぞれ50%で扉を変更する意味はないように思えます。この映画の冒頭のこのシーンが妙に気になってしまって、結局、映画そのものは、あまり楽しむことができませんでした。それどころか、そのあと、飛行機の中でずっとこの問題を考えていたもので、12時間のフライトが、あっという間だったくらいです。実際のところ、自分なりに理屈を飲み込んで納得するのには、そのあと一週間くらいかかったのです。

というわけで、この手の問題のお好きな方は、どうぞ悩んでみてください。

ところで、写真は、下に書いた小樽の水族館に行ったときに撮ったものです。水槽をデジカメで撮るというのは、結構難しいもので、めちゃくちゃにシャッターを押していたら、期せずして幻想的な一枚が出来上がりました。

5 Comments »

  1. この確率の話、たまたまいま読んでいる本にも載っていました。有名な問題なんですね。
    最初の選択が間違っている確率が3分の2だから、扉を変更するのが正解・・・で納得しかけたのですが、仮に、3番目の扉があいた後にやってきた別な人に選択させるとすれば、その人にとっては五分五分の確率???

    Comment by あ次郎 — 08/10/2008 @ 04:20 pm

  2. えーと、たぶん、あとからやってきた別の人にとっても二番目の扉を選択するのが正解なんだとおもいます。たとえば、最初に一番の扉を開けた本人が突然記憶喪失に陥ったとしても、本質的には何も変わらないわけですから、これは、何も知らない別の人がやってくることと等価ですよね。このパラドックスのミソは、司会者がどこに当りがあるかを知っていることで、本来ならばランダムに起こる可能性のある、司会者が当りの扉を開けてしまうという「場合の数」がなくなっていることなんですね。そのことによって、確立を計算する際の分母が変わってしまっているんです。ある状況にいたった経緯が、表面的にランダムに等価に起こるはず事象の確立を変えてしまっている、面白い例ですね。

    でも、あ次郎さんのおっしゃるように、別の人がやってくるというシチュエーションからは、とても奇妙な妄想が引き出せます。私たちは、今、目の前に起こっている現実の世界の事象は、まったくランダムにおこるという前提で暮らしています。少なくとも、サイエンスの世界ではそうです。でも、考えてみれば、私たちは、この世界が今の状態にいたった経緯を知りません。言ってみれば、あ次郎さんの言う、後からきたべつの人です。現実に起こりうる可能性のあることの多くは、すでに当りの場所を知っている司会者によって、起こりえないことになっているかもしれません。別に、司会者=神というような安易なアナロジーを持ってくるつもりはありませんが、なんとなく、上の例が、どこかで運命とか、自由意志というものと関係しているように、私には思えます。

    Comment by 蚊帳吊りウサギ — 08/10/2008 @ 07:40 pm

  3. > えーと、たぶん、あとからやってきた別の人にとっても二番目の扉を選択するのが正解なんだとおもいます。
    そうでうね。ただし、後からやってきた人が、前の人と司会者の行動について何の情報も持っていないとすると、扉の選択はランダムになり、賞品を獲得する確率は50%になると思います。考えてみれば当たり前のことですが、知識の有無で期待値は変わりますね。

    自然界で確率というと量子力学のことに連想が行くのですが、「観測するまで素粒子の位置は確率でしか記述できない」とか、「アインシュタインは『神はサイコロを振らない』と言った」とか、また最近の説では「可能性の数だけ世界がある」とか、チンプンカンプンのお話ばかりです。宇宙についての知識が増えると、何がもらえますかねえ。

    Comment by あ次郎 — 09/10/2008 @ 03:31 pm

  4. >ただし・・・賞品を獲得する確率は50%になると思います。

    そのとおりなんです。これは、一番の扉を開いて当る確立が三分の一、二番の扉は三分の二だから、(0.5×0.33)+(0.5×0.66)=0.5ということで、後から来た別の人が、何も知らずにランダムに選んだ場合、当る確立は50%になる、ということだろうと思うんです。ここで、たまたまこの人が二の扉を開いて当りを引いたとします。こりゃあ縁起が良い、というので、この人が毎回、毎回、二の扉を開けつづければ、その人にとっては何ら合理的な説明のつかないまま、三分の二の勝率を維持しつづけることになります(あくまで、この人が扉を開けるにいたる経緯が毎回同じだとしての話ですが)。

    うまく自分の意図することが表現できているかどうか、はなはだ自信がないのですが、上に書いたようなことが、現実にミクロのレベルでも、マクロのレベルでも起こっているかもしれないなあ、というのが私の妄想です。等価であるはずの事象が、何らの合理的な説明のつかないまま、確率的に等価でない・・・・。これが、縁起だとか、運命だとかいうものを連想させるんです。

    Comment by 蚊帳吊りウサギ — 09/10/2008 @ 07:46 pm

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