Kayatsuri Blog

21/01/2008

続・生き物とは

Filed under: がん・創薬 — 蚊帳吊りウサギ @ 08:53 pm

えーと、まずは、前回の宿題から。

水溜りに氷が張るときには、エントロピーが自発的に減少しているのではないか、ということを書きました。もしそうなら、これは、熱力学の基本原理に反する超自然現象だ、ということになりますが、もちろん、そんなことはありません。水溜りの水分子の持っていた乱雑さは、氷ができるときに、冷たい空気が熱として持って行ってしまっただけです。そのぶん、空気は少し乱雑に、つまり、暖かくなりました。ですから、宇宙全体のエントロピーは、私の家の前の水溜りに氷が張ったからといって、けっして減少したわけではないのです。そういうわけで、エントロピーは常に増大する、という法則には、「宇宙全体の(閉鎖系の)エントロピーは・・・」という風に、ただし書きをつけなければいけません。とはいえ、われわれの住む宇宙が本当に閉鎖系であるかどうかを確かめた人はいないのですから、この世のエントロピーが減少しても、あの世のエントロピーが、それを上回って増加していれば、全体としては、熱力学的整合性は保たれているのかもしれません。

さて、こうのように、自然の秩序は常に崩壊する方向に進むのが熱力学の基本法則だと考えて、いま一度、身の回りを見渡してみると、たしかに、法則のいうとおりに、世の中には、ほうっておけば、いずれ形がなくなり崩れていってしまうものと、その反対に、常に自分自身の形や機能を、秩序だった組織として自発的に維持してゆくことのできるものの二種類が存在することに気がつくと思います。言うまでもなく、前者は無生物です。そして、一見してエントロピー増大の法則を無視しているように見える後者、それが生物だと思うのです。

いま、「一見してエントロピー増大の法則を無視しているように見える」と書きましたが、それはこういう意味です。たとえば、生まれたときは、手のひらに乗るほど小さかった子犬も、見る間に大きくなって、一緒に散歩に出た飼い主を引きずりまわるようになりますし、小さなどんぐりも、いずれは大木に育ちます。確かに生物は、超自然的な力で無から秩序を生み出しているように見えます。しかし、生物の中で起こっているプロセスは、本質的には化学反応なのであって、そこには生物、無生物を分ける壁はありません。生化学的プロセスだからといって、熱力学の法則から逃れることはできないのです。ここで言う生化学的プロセスとは、要するに、食物を摂取し、その食物を自分自身の組織やエネルギーに変換して生命活動を行い、残りかすを排泄することです。その過程で、生物は自己の体内を低エントロピー状態に維持し、それに見合う分以上の大きなエントロピーを体外に放出しているはずです。つまり、生物は、一種のエントロピー・ポンプとして機能しているのです。

生命活動のエントロピー収支を、実験的に測定することは、非常に難しいことだと思います。しかし、たいへん大雑把ではありますが、生命がエントロピー・ポンプとして働くことを理解するには、次の反応を考えればよいでしょう。

C6H12O6 + 6O2 → 6CO2 + 6H2O

これは、グルコースが酸化されて、二酸化炭素と水になる反応、つまり、糖の代謝です。呼吸と言ってもよいと思います。詳細を決死の覚悟で大胆に省略すれば、動物は、グルコース(炭水化物の基本構成要素)を食べ、それを呼吸で取り込んだ酸素で燃やしてエネルギーとし、二酸化炭素と水を排泄して生きているといえます。ここで、注目していただきたいのは、左辺と右辺の分子の数です。摂取するのは、グルコース一つと酸素六つの、計7分子です。そして、排泄するのは、二酸化炭素が六つと水が六つで、12分子。このプロセス全体として、分子の数が5つ増えていることになります。エントロピーというのは、乱雑さの尺度ですから、乱雑さを構成する要素の数(この場合、分子の数)が多ければ多いほど、エントロピーは増加します。このことは、引っ越してきたばかりの部屋を散らかそうとしても、荷解き前の段ボール箱がいくつかあるばかりで、散らかしようがありませんが、いったん荷解きを始めて、箱の中身を外へ出すと、つまり、分子の数(部屋の中の物の数)が増えると、とたんに部屋中ぐしゃぐしゃになってしまうのと似ています。物が多い、分子が多いというのは、基本的にエントロピーの大きな状態なのです。このように、呼吸というのは、グルコースの分子の中に蓄えられていたエネルギーと秩序を、巧妙なメカニズムで体内に取り込むプロセスと見ることが出来るわけです。

最後に、生物の、分裂し、子を産み、増えるという性質を付け加えてやると、ようやく、「生き物とは、自己複製するエントロピー・ポンプである」と言う定義が完成します。やれやれ・・・お疲れ様でした。しかし、よく考えてみると、実際に自己複製しているのは、遺伝子なのであって、ゲノムの表現形としての個体ではありません。基本的に、個体の命は一度限りです。では、遺伝子こそが生命なのかと言うと、答えはもちろん、否です。遺伝子の物質的本体であるDNA自体は、単なる有機高分子です。高度に複雑な細胞という生化学工場の中に入って、初めて、それは遺伝情報として機能します。このあたりの事情は、ウィンドウズのインスタレーションディスクが、単なるOS、ソフトウェアであって、それ自体がコンピュータではないのと、少し似ています。と言うわけで、「生物と無生物のあいだ」のはなしは、ますます、混沌の度合いを深めてゆくのです。

この続きは、おそらく・・・・ないでしょう。

7 Comments »

  1. とても面白く拝見しています。
    私は大学時代に情報エントロイーの講義を聴き、そのあとで熱力学第二法則が時間の概念と関連するとした本を読んで、チンプンカンプンの中、何となく納得した記憶があります。世の中は増大したエントロピーを捨てることにより成立しているのでしょうね。そうすると人間が生命サイクルの中で廃棄する最も増大したエントロピーとは・・・、「あれ」でしょうか(下品ですみません)。このブログを拝見して、私の妄想はつぎつぎと広がりました。宇宙が収縮するような場合は(総)エントロピーはどうなるのだろうか。ブラックホールが異次元に繋がっているという話を映画で見たような気がするのですが・・・。エントロピー的に考えるとどうなるのか・・・。そうすると音楽エントロピーなんかは考えられるのだろうか・・・。ノイズレベルから結晶のような音楽を作る作業を行なう人間の頭も、エントロピーポンプと考えられないだろうか・・・。私の小さい頭では(とても)整理できませんが、とても考えさせられました。

    Comment by western-front — 22/01/2008 @ 06:52 pm

  2. Western-Frontさん、こんにちは。お好きでしたか、こういう話。読んでくださる方がいらっしゃってうれしいです。

    >熱力学第二法則が時間の概念と関連する

    そのとおりだと思います。赤インクの拡散のところで、ビデオを逆回しにする話を書きましたが、どちら向きにまわした動画も、運動の法則に照らし合わせて不都合はないのに、現実には拡散するほうだけが可能で、収束するほうは許容されないと言うのは、まったくの二次的情報なしに、分子の軌跡だけから時間の進行方向を特定できると言うことですから、本当に不思議なことです。

    人間の脳も、もちろん、エントロピー・ポンプだと思います。たとえば、ギタ-を練習すれば、脳の中に新しいニューラル・ネットワーク、つまり秩序、が成立して、新しい曲の学習が成立します。その過程で腹が減って糖が燃やされているわけですから、まあ、無理やり言えば、グルコースが新しい曲の演奏能力に化けたわけですよね。ただ、こういう複雑な器官の働きは、糖代謝のように簡単な数字で説明できないので、なかなか話題にしにくいだけです。近年、地球温暖化が、大きな環境問題としてクローズアップされていますけれど、これは、熱力学的には避けられない必然的な帰結のように私には思えます。人間が、自分の身体の延長として、これだけの膨大な、大小硬軟さまざまの人工物を作り出して、局所的にエントロピーを減少させれば、どこかでそれを補うだけの乱雑さが発生しなければなりません。二酸化炭素排出量さえ減らせばそれでよいように議論されていますが、本当にそうなんでしょうか。この話も、書き出すと長くなるので、またいずれ。

    Comment by 蚊帳吊りウサギ — 22/01/2008 @ 09:16 pm

  3. 妄想を2題

    エントロピーの増大と時間の流れが不可分とすると、系全体のエントロピーの総量を減少させる仕組みがあれば、それはタイムマシンでしょうか。そういえば、はじめてエントロピーという言葉を聞いたのはたしか「タイムトラベラー」というドラマの中でした。

    外部とのエネルギーのやりとりを許せば、エントロピーを下げることはできるんですよね。くずれた積み木を手で元に戻せば、その部分だけは時間が戻ったと言えなくもない。もし生物の構成単位を分子や原子のレベルでコントロールできたら、若返ったり、死者を生き返らせたりできるでしょうか。

    Comment by あ次郎 — 23/01/2008 @ 03:43 pm

  4. タイムマシンですか・・・あ次郎さん。時間について考えるのは、難しいですねえ。時間旅行には、因果律の問題とか、いろいろありますし。もし、系全体、つまり宇宙の時間の流れを逆向きにしたら、確かにエントロピーは減少するでしょうけれど、その流れの中にいる我々にとって、流れが逆になったことを知覚することは、不可能じゃないでしょうか。知覚するためには、流れの外にいなければいけませんけれど、でも、外ってどこのことでしょう。

    今、流れと書いていますけれど、これは他に使うべき言葉がないので、仕方なく使っているので、ほんとのところ、私には、時間というものは、そもそも流れるものなのかどうか、よくわかりません。我々が住む世界と言うのは、「宇宙の誕生から終焉まで」というタイトルの、巨大な3次元映画のようなものかなあ、と思うことがあります。普通の映画もそうですが、リールに巻き取ったフィルムには、コマの連なりがあるだけで、フィルムの中に時間が存在するわけではありません。有限の極小単位に量子化された時間の単位で切り取った宇宙のスナップショットの無限の連なりです。でも、それは、本当に無限なのではなくて、最後の一コマもすでに撮ってあるんじゃないかなあ。

    与太をとばしていたら、若返りと生き返りについて書く「時間」がなくなりました。

    Comment by 蚊帳吊りウサギ — 23/01/2008 @ 10:28 pm

  5. 学生時代に物理化学の授業で、シュレーディンガーの波動方程式の確か分母がゼロになる条件について、これまたうろ覚えですが温度が絶対零度になった時、一体どんな状態になるのか質問したことを思い出しました。そのとき教授から「万物は一点に凝集する」という答えが返ってきて、なんだか宗教のような哲学のような説明だな思ったことを覚えています。当時カッパブックスでマクスウェルの悪魔というエントロピーについて平易に解説した本を紹介され読んだ記憶があります。エンタルピーなんていう言葉もありましたね。もうすっかり記憶の彼方にってしまいましたが・・なんとも懐かしい

    Comment by YASU — 24/01/2008 @ 04:38 pm

  6. あらー、YASUさん、いらっしゃいませ。長いあいだ、ご無沙汰してしまって、失礼をしておりました。

    そういえば、YASUさんも、バケでしたね。わたしは、学生時代は、この手の科目の再試験の常連で、量子力学や統計熱力学には、ホントに泣かされました。いまごろ、こういう話をくどくど書いているのは、あの当時のコンプレックスの裏返しかもしれません。

    ところで、「ギター大好き・・・」の全国大会には、本当に豪華な顔ぶれがそろいましたね。たまたま、日本出張で東京にいることでもあれば、ぜひ聴きに行きたいですが、そんなおいしい話はないだろうなあ。楽しんで弾いていらしてくださいね。

    Comment by 蚊帳吊りウサギ — 24/01/2008 @ 09:27 pm

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