生き物とは
あ次郎さんのブログで、福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」という本が紹介されています。私も、ごく最近、この本を面白く読んだところで、実はこれをネタに、色々と寝言を書いてみようと思っていたところでした。とりあげたい話題は色々あるのですが、とりあえず、まず、生き物とは何か、ということについて考えてみたいと思います。
生き物とは何か、という問いは、日常的には、あまりにも自明なことですから、あらためて尋ねられると、返答に困ります。困ったあげくに、私がこの問題に、「生き物とは、自己複製するエントロピー・ポンプである」という、比較的簡潔な答えをでっち上げたのは、いったいいつごろのことだったのか。それどころか、この答え自体が、そもそも、自分で思いついたものやら、どこかで読んだ、人の受け売りなのか。それすらよく思い出せません。いずれにせよ、色々な人が色々なところで、似たり寄ったりなことを言っていますので、自分のプライオリティーを主張する気などは、毛頭ありません。
定義にエントロピーが出てきたので、まずエントロピーの話から、はじめなければなりません。エントロピーというのは、ご存知のように、乱雑さをあらわす物理量です。今、コップの中の水に、赤インクを一滴、落としたとします。インクがコップの水に落ちた瞬間は、無色透明な水の中に、まさに紅一点、赤いインクの小液塊がポツリと存在するわけで、これは、コップの中でインクの色素と水の分子が、お互いに交じり合わずに住み分けた、秩序の高い状態です。しかし、特にわざわざかき混ぜたりしなくても、ほうっておけば、すぐにインクはコップ全体に広がって、透明だった水は、均一な赤い水溶液になってしまいます。この状態では、色素と水の分子は、まったくデタラメに混ざり合っているわけですから、以前の紅一点の状態よりは、秩序が乱れている。つまり、エントロピー=乱雑さの程度が増大した状態である、ということができます。
ところで、この赤い水溶液は、どんなに長い間観察していても、もとの紅一点状態に自発的に戻ってゆくことは、けっしてありません。これは、なぜでしょうか。原理的には、この赤い溶液中のすべての色素と水分子の動きが、ある時いっせいに逆向きになれば、ビデオを逆回ししたように、来た道をたどってもとの状態に戻るはずです。また、その動きの逆向きになった分子一つ一つを、(架空の)超高性能顕微鏡を使い、ストップモーションでどんなに詳細に観察しても、物理的に不都合な点は何もないはずです。ただ、進行方向が180度反対になっているだけなのですから、当たり前です。そのような動きを禁止する物理法則は何もない。それなのに、こういうミクロな部分部分に成立している、微視的な可逆性が、マクロな全体に対しては成立せず、いったん混ざったインクと水が決して自発的に分離することがないというのは、考えてみれば非常に不思議なことです。ここでは、これ以上、詳細には立ち入りませんが、われわれの住む宇宙には、このように、乱雑さ、つまりエントロピーは常に増大するという熱力学の基本原理が存在するのです。
余談ではありますが、上の熱力学の法則を過大解釈して、エントロピーはどんな時にも決して自発的に減少することはない、と思っている人がいますが、そんなことはありません。たとえば、冬の寒い朝、道の水溜りに氷が張ります。水溜りの水が、乱雑な液体の状態から、秩序の高い結晶構造の氷に変化したのです。ここでは、明らかにエントロピーが減少しているではないですか。これは、どう考えたらよいのでしょうか。
子供向けの科学読み物のようなものを書き初めてしましたが、前置きが長くて、生き物の話への道のりは遠いようです。まあ、誰もこんなくどい話、読んでくださらないとは思いますけど、続きはまた近いうちに。
エントロピーに着目して生物を考えるというのはこの本で初めて知りましたが、生物や生命について考える人たち(学者でもアマチュアでも)には常識なんですね。
連載、期待しています。
Comment by あ次郎 — 18/01/2008 @ 04:13 pm
あ次郎さん、こんなオタクな話にお付き合いいただいて、まったく恐縮です。この話は、このまま腰砕けに終わるかもしれませんねえ。私の実力不足です。
それにしても、ニュートンの運動の法則もそうですけれど、エントロピーやギッブスの自由エネルギーの考え方など、熱力学の体系と言うのは、分子、原子レベルでの物質についての知見のほとんどない時代に、完全な理論体系として確立されているところが、驚異的です。エントロピーだって、何だかわからない物理量として導入されたものが、後にミクロな物質の理解が進むにしたがって、乱雑さの尺度と解釈すればよいことがわかってきたわけですから。量子力学のスピン量子数にも、似たようなところがありますね。
ところで、あの本で、ワトソンたちにノーベル賞を盗まれたことになっているロザリンド・フランクリンは、イギリスでは、DNAの二重らせん構造の解明に決定的な貢献をした人として広く認知されていて、その事実に口をはさむ人はほとんどいません。彼女の職場であったキングス・カレッジは、ロンドンのウェスト・エンド、俗にシアター・アイランドと言われる、ニューヨークでいえば、ブロードウェイのような地区にあって、まわりにはミュージカルの劇場やサボイなどの超高級ホテルが建ち並びます。キングス・カレッジの化学科は、近年の大学の経営状態の悪化のおかげで、ビジネス・スタディー、IT、等の生徒の呼べる、つまり、金の儲かる学科の規模拡大に圧迫され、2年程前にその長い歴史を閉じました。学科ごと閉鎖です。知り合いの教授は、幸いアメリカの大学にポジションを見つけて移ってゆきましたが、他の教官、職員の皆さんは、いったいどうされたでしょうか。なんとも、割り切れない気持ちがします。
Comment by 蚊帳吊りウサギ — 18/01/2008 @ 10:06 pm