続・生き物とは
えーと、まずは、前回の宿題から。
水溜りに氷が張るときには、エントロピーが自発的に減少しているのではないか、ということを書きました。もしそうなら、これは、熱力学の基本原理に反する超自然現象だ、ということになりますが、もちろん、そんなことはありません。水溜りの水分子の持っていた乱雑さは、氷ができるときに、冷たい空気が熱として持って行ってしまっただけです。そのぶん、空気は少し乱雑に、つまり、暖かくなりました。ですから、宇宙全体のエントロピーは、私の家の前の水溜りに氷が張ったからといって、けっして減少したわけではないのです。そういうわけで、エントロピーは常に増大する、という法則には、「宇宙全体の(閉鎖系の)エントロピーは・・・」という風に、ただし書きをつけなければいけません。とはいえ、われわれの住む宇宙が本当に閉鎖系であるかどうかを確かめた人はいないのですから、この世のエントロピーが減少しても、あの世のエントロピーが、それを上回って増加していれば、全体としては、熱力学的整合性は保たれているのかもしれません。
さて、こうのように、自然の秩序は常に崩壊する方向に進むのが熱力学の基本法則だと考えて、いま一度、身の回りを見渡してみると、たしかに、法則のいうとおりに、世の中には、ほうっておけば、いずれ形がなくなり崩れていってしまうものと、その反対に、常に自分自身の形や機能を、秩序だった組織として自発的に維持してゆくことのできるものの二種類が存在することに気がつくと思います。言うまでもなく、前者は無生物です。そして、一見してエントロピー増大の法則を無視しているように見える後者、それが生物だと思うのです。
いま、「一見してエントロピー増大の法則を無視しているように見える」と書きましたが、それはこういう意味です。たとえば、生まれたときは、手のひらに乗るほど小さかった子犬も、見る間に大きくなって、一緒に散歩に出た飼い主を引きずりまわるようになりますし、小さなどんぐりも、いずれは大木に育ちます。確かに生物は、超自然的な力で無から秩序を生み出しているように見えます。しかし、生物の中で起こっているプロセスは、本質的には化学反応なのであって、そこには生物、無生物を分ける壁はありません。生化学的プロセスだからといって、熱力学の法則から逃れることはできないのです。ここで言う生化学的プロセスとは、要するに、食物を摂取し、その食物を自分自身の組織やエネルギーに変換して生命活動を行い、残りかすを排泄することです。その過程で、生物は自己の体内を低エントロピー状態に維持し、それに見合う分以上の大きなエントロピーを体外に放出しているはずです。つまり、生物は、一種のエントロピー・ポンプとして機能しているのです。
生命活動のエントロピー収支を、実験的に測定することは、非常に難しいことだと思います。しかし、たいへん大雑把ではありますが、生命がエントロピー・ポンプとして働くことを理解するには、次の反応を考えればよいでしょう。
C6H12O6 + 6O2 → 6CO2 + 6H2O
これは、グルコースが酸化されて、二酸化炭素と水になる反応、つまり、糖の代謝です。呼吸と言ってもよいと思います。詳細を決死の覚悟で大胆に省略すれば、動物は、グルコース(炭水化物の基本構成要素)を食べ、それを呼吸で取り込んだ酸素で燃やしてエネルギーとし、二酸化炭素と水を排泄して生きているといえます。ここで、注目していただきたいのは、左辺と右辺の分子の数です。摂取するのは、グルコース一つと酸素六つの、計7分子です。そして、排泄するのは、二酸化炭素が六つと水が六つで、12分子。このプロセス全体として、分子の数が5つ増えていることになります。エントロピーというのは、乱雑さの尺度ですから、乱雑さを構成する要素の数(この場合、分子の数)が多ければ多いほど、エントロピーは増加します。このことは、引っ越してきたばかりの部屋を散らかそうとしても、荷解き前の段ボール箱がいくつかあるばかりで、散らかしようがありませんが、いったん荷解きを始めて、箱の中身を外へ出すと、つまり、分子の数(部屋の中の物の数)が増えると、とたんに部屋中ぐしゃぐしゃになってしまうのと似ています。物が多い、分子が多いというのは、基本的にエントロピーの大きな状態なのです。このように、呼吸というのは、グルコースの分子の中に蓄えられていたエネルギーと秩序を、巧妙なメカニズムで体内に取り込むプロセスと見ることが出来るわけです。
最後に、生物の、分裂し、子を産み、増えるという性質を付け加えてやると、ようやく、「生き物とは、自己複製するエントロピー・ポンプである」と言う定義が完成します。やれやれ・・・お疲れ様でした。しかし、よく考えてみると、実際に自己複製しているのは、遺伝子なのであって、ゲノムの表現形としての個体ではありません。基本的に、個体の命は一度限りです。では、遺伝子こそが生命なのかと言うと、答えはもちろん、否です。遺伝子の物質的本体であるDNA自体は、単なる有機高分子です。高度に複雑な細胞という生化学工場の中に入って、初めて、それは遺伝情報として機能します。このあたりの事情は、ウィンドウズのインスタレーションディスクが、単なるOS、ソフトウェアであって、それ自体がコンピュータではないのと、少し似ています。と言うわけで、「生物と無生物のあいだ」のはなしは、ますます、混沌の度合いを深めてゆくのです。
この続きは、おそらく・・・・ないでしょう。