昨夜は去年の夏に死んだ親父の夢を見た。死んだはずなのに、どういうわけか大阪の家に帰って来ていて、顔色も良い。髪も黒々としていて、ずいぶん若返った感じだ。「父さん、どうしたの?」と私が言うと、隣にいた母が「肝臓のがんが進んで、肝臓が死んでしまったから、がんもいっしょに死んでしまったのよ。だから、元気になったの」。ああ、そうか、なるほど。まあ、元気になったのは何よりだ。いや、待てよ。そんなことがあるものだろうか。そう思っているうちに、ふと思い出した。あの日、俺は真っ白に焼け上がった父の骨を箸で拾って骨壷に詰めたのではなかったか。そう気づいて振り返ると、もうそこには父の姿はなかった。
目が覚めると、明け方の三時半だった。くそ、何であの親父のために俺が夜中に目を覚まさなければいけない? ひどく腹が立ったが、すぐにまた瞼が重くなってきた。と、トントンと寝室の扉をノックする者がいる。いや、あの扉は、学生時代に暮らした札幌のアパートの扉じゃないか・・・「はい、ちょっと待って」と言って起き上がると、カーテンの隙間から街灯のナトリウムランプのオレンジが寝室の白い壁を照らしていた。ここはイギリスだ。ああ、札幌の父さんが尋ねてきてくれたのだろうか、なぜかそう思った。日本に帰っている女房から、義理の父が亡くなったという電話を受けたのは、つい数日前のことだ。

酒井直隆著、「ピアニストの手-障害とピアノ奏法」、ムジカノーヴァ叢書22、音楽の友社。先日、帰国した時に心斎橋のヤマハで見つけて買ってきた本です。100ページほどのペーパーバックですから、本というよりは小冊子という趣です。目次を眺めてみると、第三章-指の独立性を高めるための手術、第四章-手の構造とピアノ奏法、などという興味深い項目が目に止まります。この手術というのが特に面白いですねえ。どういうことをするのかというと、薬指と中指を伸展する二つの腱をつないでいる腱間結合を手の甲のところで切断するのです。こうすることによって、二本の指の伸展筋腱は独立して動けるようになり、薬指の独立性が高まるというわけです。この腱間結合の存在は実際に触って確認することが出来ますし、また、手を広げての中指だけを折り曲げる動作をしながら手の甲の腱の動きを観察すると、中指の腱の動きにつられて薬指の腱が、腱間結合を介して中指側に引っ張られる様子がはっきり観察できます。この手術は、19世紀中ごろ以後アメリカを中心に行われたようですが、その後廃れたところを見ると、たいした効果はなかったか、あるいは弊害も多かったのでしょう。著者は、特別なケースには一定の効果はあるかもしれないと言っています。
その他、ピアニストが手に障害をきたした時に練習していた曲・テクニックの統計というのも面白いです。手に悪い曲のナンバーワンはショパンのバラード、ト短調でした。技術的には、オクターブの練習が圧倒的にハイリスクです。手を大きく拡張したままの打鍵が大きな負担になるのですね。ギターでも同じようなことを調べたら、何か有益な情報が得られるかもしれません。
全体として良く書かれた本だと思いますが、冒頭の解剖学的記述が面白いのに反して、後半の脳内プロセスや技術論の記述に深みがなく、やや尻すぼみの感があるのがすこし残念です。

以前にもチョロっと書きましたが、昨年職場で配置転換がありまして、あろうことかこの歳になってリナックス・ユニックスを勉強しなければならない羽目に陥りました。実際は、配置転換というほど大げさなものではなくて、ある日、ボスが私のところへやってきて「君は毎日グータラ暇そうだだから、こういう仕事でもやってみたらどうかね・・・」と言ったという程度の話なのですが、その「こういう仕事」と言うのが曲者でして、結果的に山のような新しい分野の教科書と今まで使ったこともないソフトウェア群と格闘することとなりました。そのソフトウェアというのが、GUIベースで走らないわけでもないのですけれど、基本的にリナックスのクラスタ上でコマンドラインモードで使うものなのです。コマンドラインで端末を使うなんて、学生時代の電算機実習でパスカルやフォートランのプログラミングをした時以来か、いや、十数年前にMS-DOSをいじっていたこともあったっけ・・・まあ、要するに、ほとんど忘却のかなたということです。年齢が上がるにしたがって環境の変化への適応力は衰えてゆくものです。同じような試練に直面している中高年サラリーマンの皆さん、がんばりましょう。

なんだかぐずぐずしているうちに、今年の初録音が二月の半ばになってしまいました。今回のお題、およびこれから数回のお題(予定)はポンセのイ短調組曲です。第一曲として、まずはプレリュードを録音してみました。ちょっと捕らえどころのない曲なのですけれど、弾き込むうちのスルメのように味が出ます。 後半のドミナントのペダルが印象的で好きです。最後のところで、静電気のせいでしょうか、パチというノイズが入っています。アース線をつけて録音しなきゃあいけないかなあ。こまごましたことは、いつものように宅録日記に。

先日帰国の折に、実家で仏壇の引出しを整理していましたら、塗りの箱の中から「古文書」と書かれたなにやら意味ありげな袋が出てきまして、その中には巻物やら半分朽ち果てたような冊子やらが入っていました。その冊子はなんと我が家の系図でありまして、初代為盛は明暦年間(1655-)の生まれで、私ことウサギは第十代蚊帳吊り家当主であることが判明いたしました。十代で300年はちょっと長いように思いますのでどこか間違っているのかも知れません。なにせ、にょろにょろに書き下した古文はどうもよく読めませんから。
一方、巻物の一つは私の曾祖母、嵯峨のお琴の免状でありました。母の言うところによりますと嵯峨はお琴の名手で(身内の話ですから、まあ、実際はどんな腕前だったのかわかりませんが)その娘も、当時では珍しく上野の音楽学校でピアノを学び、某高等女学校の音楽教師を務めたそうです。どうも、蚊帳吊り家は音楽教育に熱心だったようで、父も幼少時には謡と鼓を習っていました。その後は、時おり機嫌の良い時に旧制高校の寮歌などを鼻歌で歌うくらいで、音楽にはまったく興味を示さなかった父ですが、そういえば、不思議と音程をはずすのを聴いた覚えがありませんから、耳の良い人だったのでしょう。代々続いた幼少時音楽教育の伝統が第十代にしてとぎれてしまったのは、なんとも残念と言うか、「何もよりによって、俺のところでやめることはなかったんじゃないの???」と思うウサギであったのでした。

出張で10日ほど日本に滞在して、昨日イギリスに帰ってきました。出発直前に風邪をひいてアスピリンをバリバリと噛み砕きながらの旅でしたが、なんとか生還しました。それにしても帰ってきてみれば、関空のなにからなにまでピカピカなのに比べて、ヒースローの汚いこと。建物の隅の水溜りは、ただの水溜りなのか、ホームレスの小便なのかよくわからない・・・そんな感じですね、この国は。
今回も過密スケジュールで、自由時間のある日は二日ほどでしたが、なんとか工面して2月3日に浜松ギター鑑賞友の会のフィエスタにお邪魔してきました(私は弾きませんでしたけれど)。アマチュアの演奏会を聞くのはずいぶん久しぶりです。演奏のほうは、こちらがいやになってしまうくらい上手な方や、ギターを始めてまだ日が浅いのかな、と思われる方など様々でしたけれど、皆さん真剣に、且つ楽しんで演奏されている様子が印象的でした。やはりこういう会が身近にあると、やる気もわくのでしょう。人前でのパーフォーマンスということについて、ちょっと考えるところのあった一日でした。当日お世話になった皆様、ありがとうございました。