
新年、明けましておめでとうございます。
本年も、よろしくお願いいたします。
えー、昨年秋以後、身辺著しくドタバタいたしまして、ブログ、HP、の更新が滞ってしまいました。 2009年の目標は、ギターをやめないこと、などと大変な弱気を吐いていましたが、今にして思えば、まことに適当で現実的な目標設定であったように思います。というわけで、いちおう目標達成です。新録音こそなりませんでしたが、細々とやってゆけそうです。2010年は、何とか、2曲程度は、納得のゆく録音を残せればと考えています。
写真は、9月13日の記事中の写真に見える丘のうえから、デイズ・ロックを見下ろしたところです。中央右が、運河とロック。左に、ちらほらと教会や民家の並んでいるところが、ショート・ウィッタムという村です。

デイズ・ロックは、このあたりでは、かなり大きなロックです。全景を写すのはちょっと難しいのですけれど、こんな感じかな。周りには広大な牧草地と畑が広がっています。私有地ですが、立ち入りは自由です。 天気の良い日には、のんびりと散歩に訪れる人が多いのですが、人ごみなどというものには程遠く、日本の観光地の混雑などとは一切無縁の世界です。ただ、新しい牛糞には気をつけないといけません。でも、ほとんど匂いませんから、皆、ウェリントンという一種のゴム長靴を履いて、気にせずに、どんどん歩いてゆきます。

ロックというのは、ご存知のこととは思いますが、こういう風になっていまして、下流からボートが入って来ると、入り口を閉めて、反対側の水位の高い上流から水を流し込んでゆきます。ロック内の水位と、出口の水位が同じになったところで、出口の水門を開いて、ボートは反対側に出てゆくわけです。所要時間は5分もかからないでしょう。考えてみれば、この作業にポンプというものは必要ありません。水門とバルブの開け閉めだけで、これだけの水を動かすことが出来るのだから、重力というのはすごいものですね。

昔は、風邪といえば、突然ゾクゾクと寒気が来たかと思うとポンと熱が出て、それが一晩くらいでストンと下がるという、まったくのお子様型の症状が多かったのですが、食道がんの手術を境にすっかり変わってしまいました。最近では、一週間くらいかけて、じわじわと具合が悪くなり、微熱が数日続いた後、名残惜しそうに、また、じわじわと治ってゆくという、きわめて陰湿なタイプの風邪をひくようになりました。免疫力が落ちているのでしょうね。あれだけリンパ組織をいじれば、無理も無いのですが。
今回の発熱は突然でしたから、やはり新型インフルエンザだったのだと思います。ネットで日本のニュースを見ていると、肺炎を併発して悪化させている例が多いですが、上に書いたような理由で、私もこれを一番警戒していました。タミフルにまったく効果が無かった時点で、ためらう医者を無理やり説得して、まず、ペニシリン系の抗生物質一週間、さらに、マクロライド系のものを二週間服用することで、しつこかった熱もようやく下がり始めました。このころになって、ようやく聴診で肺に異常音が聞き取れるようになり、予想どおり、インフルエンザから肺炎の合併症を起こしていたことがわかったのでした。それにしても、わたしの町の病院ではレントゲンの設備がなく、あらかじめ予約をした上でしばらく車を走らせて、となり町のやや大きめの病院にまで行かなければ、胸部X線すら撮れないというのはどういうことでしょうか。まあ、長くなるので、イギリスの医療については、また、機会をあらためて書きます。
実は、風邪をこじらせて肺炎になったのは、これで手術後二回目です。前回は、様子がわからなかったため、抗生物質を使いはじめるのが遅れて、二ヶ月も寝込んでしまいました。今回は、前回の経験から、かなり早期に対応しましたので、極端な悪化は防ぐことが出来ました。それにしても、3週間ですからね。かんべんしてほしいです。練習していた曲は、すっかり忘れてしまいました。
で、あんまり病気の話でも辛気臭いので、また、散歩シリーズでもはじめようかなと。写真は、近所の村のデイズ・ロックというところから見上げた小高い丘です。丘の上からは、オックスフォード州全域が、とまではゆかないまでも、南オックスフォードの丘陵地帯が一望のもとに見渡せます。ロックというのは、もちろん水門のことで、テムズ川流域の運河の所々に設けられて、船の運航のために運河の水位を調節しています。このデイズ・ロックについては次回、また。

みなさん、ご無沙汰しています。病み上がりの蚊帳吊りウサギです。
日本では、いつから「豚」が「新型」になったのか知りませんが、勘弁してほしいなあと思っていたら、案の定かかりました。いや、もう少し正確に言うと、おそらくかかったものと思われます。一月ほど前に妙に寝苦しい夜があって、夢を見ているような、目のさめているような、どちらともつかない不愉快な気分で一晩を過ごした後、朝、起きてみると体の節々がシクシクと痛みます。まだ熱は無いようですが、こりゃあ風邪だと思い、何とか出社して最重要の案件から処理してゆくと、思った通り、昼ころには背筋がゾクゾクとしてきました。悪いものをもらったときはなんとなくわかるもので、即座に、一晩寝たら案外すっきり・・・なんていうことは期待できないと直感しました。午後から会社を早退して、ベッドにもぐりこむころには、もう立派な病人で、38度台の熱がありました。ちょうど、オックスフォード近辺でも、新型が蔓延し始めたころでした。
この時点で新型という確証はありません。ただ、普通の風邪にしては、熱の出方が尋常ではありませんでした。ほっておくと、どんどんあがります。解熱剤を使いすぎるのは基本的によくないことなので、薬で下げなければいったいどこまで上がるのか試してみたら、あれよあれよという間に39.4度を記録しました。こんな熱は、子供のころにかかったお多福風邪以来のことです。意識が朦朧としてきたので、あわててアセトアミノフェン(イギリスでは、一般に、パラセティモルと呼ばれることが多いですが)の錠剤を飲み下すと、一時間ほどで、37.5から38度くらいにコントロールできました。これが、以後、3週間にわたるNSAIDとのお付き合いの始まりでした。
NSAIDは、ノン・ステロイダル・アンチ・インフラメトリー・ドラッグ(非ステロイド系抗炎症薬)の略で、アセトアミノフェン、イブプロフェン、インドメタシンなどが風邪薬やシップ薬によく使われているので、おなじみのことと思います。そういえば、インドメタシンには、がんの血管新生阻害作用があるといわれていますが、はっきりした臨床データはでたのでしょうか。私の食道がんがほとんど転移しなかったのも、疼痛のコントロールに大量のインドメタシンを使っていたからじゃないかなあ、なんて思うこともあります。
写真は、お世話になった薬たちのパッケージ。

Velazquezさんのコメントがあったので、トミーの足タップの話を少し・・・
えー、私がこれから書くことは、アコギの世界の方、というか、リズム感のよい方が聞いたら、何を間の抜けたことをと思う・・・・あるいは、当たり前すぎて、何が問題になっているのかさえ理解されないかもしれません。しかし、私のリズム感は、大雑把に言って「文部省唱歌に出てくる以外のリズムは、複雑なリズムに分類される」レベルですので、本人はいたって大真面目です。
トミーの曲を弾くにあたって何が難しいといって、指が速く動かない、押さえられない、音が鳴らない、等々のいわゆるテクニカルな問題以前に、リズムがわからない、ということがあります。ぼんやりとCDを聞いているときは、ただ、「ああ、かっこいいなあ」と思っていたフレーズが、いざ自分のギターで鳴らしてみようと思うと、どうもわからない。タブや五線譜に採譜されたものを見ても、なんとも腑に落ちない。今まで拍の頭だと思っていた音が、どうやら違うらしい。「いち、にい、さん、しい・・・あらららら」という感じです。これでは、トミーの言うように拍を足でタップするなんて絶対できません。そこで、仕方なく、メトロノームを頼りにリズムの解析作業に入ります。膨大な時間をかけて、悪戦苦闘をしていると、少しずつわかってきます。これはもう、理屈だけでも、あるいは感覚だけに頼ってもだめで、私の場合、両者をすり合わせながら、だんだん本質的な理解に迫るというアプローチが必要です。
このリズムが根本的にわからない、というのは、かれこれ35年もギターを弾いている人間にとっては、かなり屈辱的な状態なのです。しかし、ここでやけを起こさずにがんばっていると、まず最初におこることは、今まで理解していたフレーズがぜんぜん違った聞こえ方をしてくることです。「ココデハキモノヲヌイデクダサイ」が、「ここでは着物を脱いでください」から「ここで履物を脱いでください」に変化するようなものです。こうして、新しいフレーズ理解が成立すると、トミーの言うようにタップできるようになってきます。そうして、足でタップしながら弾いていると、今まで、ただ漠然と、かっこいいなあ、と思っていたトミーのつけるアクセントや、ニュアンスが、「ああ、こういう理屈だったんだ」と体で理解できるようになります。トミーの曲には、コード進行をベースラインが半拍くらい先取りしてすすんで行くパターンがよく出てくるのですけれど、これが、実に気持ちよく「わかる」ようになります。まだ前のコードがなっているうちに、バスが拍を食って入ってくる、するとそのコードの構成音が本来の拍の頭でアルペジオ風につついてきて、さらにそれをアトノリのメロディーが追いかける・・・。このズレが、なんともいえないドライブ感を生み出しているんですね。言葉で書くとややこしいですけれど。
もちろん、「わかる」ことと、 それを音にすることは、まったく別のことなので、すぐに上手に弾けるようにはなりません。でも、少なくとも、リズムがわからないという根本的問題を、テクニックの次元に昇華したわけで、後はひたすら指を動かすのみ。反復練習を汝の友とすべし、というわけです。
YouTube には、トミーの曲のカヴァーがたくさんアップされていますけれど、履物が着物になってしまっている演奏も多いです。これは、バロックをロマン派風に弾いているとか、ノリが良いとか悪いとか、解釈なり、センスなりの範疇の問題ではなくて、根本的な(クラシック風に言えば)譜読みの問題です。ソロだから起こるエラーで、これがバンドのリズムギターだったら、ありえないことです。
と、特大の大口をたたいた後なので、かなり恥ずかしいですが、以前にアップした、私のアンジェリーナです。良かったら、お耳汚しに聴いてみてください。

ちょっと古本屋の話にはお休みをいただきまして、たまにはギターの話など・・・・
といっても、たいしたことではありません。愚痴の類です。8弦のヴァイスは、難しくてさっぱり進みません。やや凹み気味なので、気分転換をかねて、少しタイプの違った曲も平行してやることにしました。そこで、選んだのがトミー・エマニュエルのアルバム、オンリーから、ドライブ・タイムです。
あー、やめときゃよかった。けっきょく、さらに凹みました。まあ、あきらめずに、気長にやるしかないですね。
ところで、私のギター・ヒーローといっても過言ではないトミーが、教則DVDを出しています。教則・・・といっても、いわゆる堅苦しい教則ものではなくて、トミーがギターを弾きながら、最近のアルバムの収録曲について、いろいろとコメントをするという趣向です。コンサートを収録したDVDもすばらしいけれど、こちらのほうが、何気なくおしゃべりをしながら気楽に弾いている分だけ、トミーのすごさが際立ちます。おそらく、まったくの一発録りと思われますが、ミスなどというものは、一切ありません。まるで、魔法を見るようです。まあ、彼の演奏について、ミスだとかなんだとかいう話をすること自体がナンセンスなんですが。
このDVDの中から(いや、この中からじゃないかもしれないけれど)トミーのギター上達のためのアドバイスを二つご紹介します。
1.最初はゆっくりと、すべてのの音を完全に弾けるように、何度も、何度も、何度も、何度も、繰り返し練習すること。
あはは・・・・やっぱりね。すべては、これに尽きるのですね。Make repetition your friend! と彼は言います。
2.足で正確にリズムをタップしながら弾く技術を身に付けること。
ふつう、クラシックの人は、こういうことはやりませんよね。でも、トミーの曲を弾いてみれば、これがどういう意味かは、すぐわかります。これについては、またそのうちに詳しく書こうかな・・・。

その、私がよく散歩に行く隣町には、一軒の古本屋があります。今までは、なんとなく敷居が高くて、店に足を踏み入れたことが無かったのですが、先日の散歩の折に、ふと思いついて立ち寄ってみました。そもそも、古本屋というのは、どんな店でも、うずたかく積み上げられた本の山で雑然としているものですが、この本屋さんの「雑然」はとびきりの筋金入りで、エントロピーは増大するという熱力学の法則を、自ら証明して見せているかのような、それは立派な「雑然」でありました。さて、その目のくらみそうな古書の山の中から、わが女房殿がなかなか面白そうなものを見つけ出してくれました。

というわけで、なごりを惜しみつつも、牛たちに別れを告げて、テムズ川沿いの小道を、ぼちぼちと帰途についたのでした。
ところで、この週末は、珍しく、町のアートホールでギターのコンサートがあったので、聴きにいってきました。リチャード・デュランという初めて聴くギタリストです。 いわゆるクラシックのコンサートではありませんので、場合によっては、かなり私の趣味から外れたものを聴かされる可能性もあるかなあと、ある程度覚悟を決めてゆきましたが、それが、けっこう楽しめました。前半が、バッハ、バリオス、タレガ、ウォルトン。後半の目玉が、ライヒのエレクトリック・カウンターポイントと自作品という構成でした。 特に、ライヒの実演を聞く機会がなかなかありませんので、収穫だったと思います。自分の演奏の多重録音にエレアコの実演を重ねながら、ビデオクリップ を流すという凝った演出でした。
リチャード・デュランのHPは、こちら。
彼の使う ギャリー・ハーンギターのサイトはこちら。ラティス式の表板を使ったモデルがちょっと面白いです。それにしても、6000ポンドでは、ポール・フィッシャーより高いですねえ。

はい、なぞの物体でもなんでもありません、ご想像のとおり、牛です。そうです。ここには牛が放牧されているのです。これで、柵がめぐらされている理由もわかりますね。このメドウは、人畜共栄の地だったのです。
ところで、ここで気持ちよさそうに寝そべっていらっしゃる牛さんは、この後、すっくと立ち上がったかと思うと、おもむろに、われわれ夫婦(二人で散歩しておりました)に尻を向け、何の予告も無く、豪快なしぶきを上げて排尿なさいました。 いや、われてくだけて裂けて散るかも・・・という趣でした。